NLP(神経言語プログラミング)を学ぶ上で必要な日本語の教科書だが、欧米との認識の相違が多く、原著やEnglish.Wikipedia、実際のトレーニングを受けたことを総合的に判断し、紹介することにした。
日本で一番大きいNLPの会社はタッド・ジェームス氏のABNLPを採用しており、そこから派生した会社も多い。
また、採用した理由として、TAD JAMES CO.の教え方はきちんと現在NLPがおかれている状況、事実に即して教えている部分が多かったからだそうだ。
欧米ではNLPは数十年前から科学的根拠がない疑似科学であるとされ、パフォーマンス力を高める方法として採用されていた。
しかし、日本ではそんなABNLPの商号を使っていてもタッド・ジェームス氏の考え方などはあまり採用されていない。
最終的に学んだ人が、なぜなのか?を理解できるきっかけになれば。
2016年12月31日土曜日
2016年12月17日土曜日
なんで橋を架けるなの? ラポール=相手を真似ている状態≒共感≒調和した関係
ラポールとはなんだろうか?
面白かったのは、通訳さんの訳である。
「ラポールは相手から信頼を得るための方法になる。」
そう訳していた。
私がとある所で学んだラポールは、相手を真似ている状態 である。
ミラーリングやペーシングといった方法を用いて意識的に相手を真似ている状態。
また、English.Wikipediaさんによれば、empathy=共感という日本語が相応しいようだ。
多くのNLPを学んだことがある日本人は信頼関係と答えるのかもしれない。
それが、違うかもしれないと考える人はどのくらいいたのだろう。
私は、考えた人だった。
ラポール=信頼関係?
とすると、「信頼関係は相手から信頼を得るための方法になる。」となる。
そして、NLPのすべてに言えることかもしれないが、「こうすると、こうなる可能性がある」という言葉が秘密裏に後にくる。
その人が、この教えを信じてくれれば。
その人が、本当に変わりたいと思うのであれば。
信じるものは救われる。
ただし、多くの体験談の中でこうもいえる。
「ラポールは相手から信頼を失う方法になる。」
なぜなら、相手が自分の真似をしているということが分かった時点で、嫌悪感を覚える人がいるからだ。
こういう手法があるということを知っておくことは今後の対人関係において有意義に働く側面がある。
まず、相手が自分と同じようなそぶりをしたと思ったら、なぜなのか?を考えるきっかけとなるかもしれない。
有利に働くかもしれないし、不利に働くかもしれない。
相手がラポール、相手を真似ている状態、という手法を使っているのかもしれないと思う=自分とは違うかもしれないと気づくということである。
演じて似せていないのに 自分と似ていると思った人に対して人は好意を寄せる。
自然に似ている状態が正常な状態だとすると、演じて似せている状態は少し不自然な状態だといえる。
ラポールの手法とは、仲の良い人たちは自然に似ているという考えに基づき、自分はあなたと同じだよ思わせ、相手からの好意を受けたい時に使うものである。
通常の自分の行動を中断し、相手に合わせて演じることである。
よって、自分が嫌いな人が、自分と同じ行動をわざととったと思った時、あなたはどう行動し、どう思うだろうか。
私は、逆の行動をとるかも知れない。
この人と同じは嫌だと思うかもしれない。
この人は、自分とは違うから、わざわざ私に合わせる為に、演技をしているのかと思うかもしれない。
ラポール、なぜか日本では「橋を架ける」と言われる。
フランス語だが、実際のフランス語の訳だとそんな意味にはならない。
昔、心理学用語として時の精神科医が 患者との 調和した関係 を指す言葉として生まれた。
また、English.Wikipediaさんによれば、building rapport≒調和した関係の構築≒共感 であり、信頼関係としてしまうのは拡大解釈ともいえる。
グーグル翻訳さんを見ると、誰か日本人?が書き換えた節が見える。
実際のフランス語は rapport=報告、関係、レポート である。
日本人に馴染み深いレポートだが、実際にフランス語の発音を聞くとラポールに聞こえる、というかむしろリンゴ?に聞こえる。
結論としては、「相手を真似ている状態≒共感≒調和した関係」は同義であると言える。
恐らく、多くの部分で最初に日本にNLPを運んだ人たち、ビジネスチャンスととらえた人たちは、英語の意味を理解できなかったのだろう。
橋の骨組みが脆すぎて、工事が延期されてきたのだろう。
骨組みは、その道のプロが崩れ落ちないように施工するものである。
もしくは、誤訳させたほうが、彼らの商売にはうまくいったのだろうか。
とあるブログで「海外でトレーナーズトレーニング(講師を育成する講義)を受けているが、英語で話す講師の言葉が理解できなかった。」というようなことが書かれていた。
講師に「意味が理解できているか?」と呼び出されたとも書かれていた。
話す速度が速かったのだろう。
トレーナーズトレーニングはかなりの早口で進められる。
そんな日本人たちが日本で広めていったのである。
誤訳は多いはずである。
恐らく、生徒は比喩をよく使うように指示される。
その講師は心理学で使われるラポールを説明する時に、このもやもやした目に見えない共感というもの、患者との調和状態を作りだすために、橋を架ける ように(相手を真似しよう)と言ったのではなかろうか。
日本語の信頼関係を考えてみよう。
信頼関係= 相互に 信頼できている関係である。
ラポールは、考えてみると片側から架けた橋である。
よく心理学では、自分の気持ちは外に出し、相手に共感の意を伝えることが重要とされる。
悪く言えば、見せかけるということであり、ラポールにこちら側の心の状態は関係ない。
架けた後の達成されたい輝かしい願望がある。
通常、橋は両側から施工され架けられていく。
ラポールという手法を用いて相手を真似する人は、相手のことを信頼しているだろうか。
多くの場合、好意をよせて欲しい異性だったり、お金を運んでくれる相手だったり、何かを得たい、好かれたい、信頼を得たいと思っている人に用いる。
相手からは信頼して欲しいと思っていたとして、自分はどうだろうか。
そして、演技をしていたこと、仮面をつけていたことがばれた時どうなるだろうか。
そのうち、そのままシンプルに本当に似ているもの同士、気が合うもの同士の自然な関係がよいということを実感することができるかもしれない。
しかし、実際にはそんなシンプル生活は社会人生活では難しく、ラポールという手法を習わなくても相手に合わせる、少し似せるということは、すでに活用してきていた私であった。
仕事を効率的に回す為に相手の波長に合わせるよう努力すると、相手が思ったように動いてくれる可能性が高くなり、それはNLPを学ぶ前から経験により必然的に実行していた。
多くの人は意識して相手に合わせる、ラポールという相手を真似ている状態を多かれ少なかれ既に実行してきたのではないだろうか。
意識して行うラポールという手法。
無意識に必然的に実行できる状態になるまで、何かをつかめるまで、仕事においては使ってみてもいいのかもしれない。
本当に信頼を得るためにするべきことは何なのか?
相互の信頼という面において、両岸から施工される橋のような関係が望ましく、もろく崩れ落ちないように、まずは自分自身の屋台骨をしっかり築き、折れない心の強さを身に付けることが必要かもしれない。
小さい頃からの教育が、患者のいない世界を作るのかもしれない。
面白かったのは、通訳さんの訳である。
「ラポールは相手から信頼を得るための方法になる。」
そう訳していた。
私がとある所で学んだラポールは、相手を真似ている状態 である。
ミラーリングやペーシングといった方法を用いて意識的に相手を真似ている状態。
また、English.Wikipediaさんによれば、empathy=共感という日本語が相応しいようだ。
多くのNLPを学んだことがある日本人は信頼関係と答えるのかもしれない。
それが、違うかもしれないと考える人はどのくらいいたのだろう。
私は、考えた人だった。
ラポール=信頼関係?
とすると、「信頼関係は相手から信頼を得るための方法になる。」となる。
そして、NLPのすべてに言えることかもしれないが、「こうすると、こうなる可能性がある」という言葉が秘密裏に後にくる。
その人が、この教えを信じてくれれば。
その人が、本当に変わりたいと思うのであれば。
信じるものは救われる。
ただし、多くの体験談の中でこうもいえる。
「ラポールは相手から信頼を失う方法になる。」
なぜなら、相手が自分の真似をしているということが分かった時点で、嫌悪感を覚える人がいるからだ。
こういう手法があるということを知っておくことは今後の対人関係において有意義に働く側面がある。
まず、相手が自分と同じようなそぶりをしたと思ったら、なぜなのか?を考えるきっかけとなるかもしれない。
有利に働くかもしれないし、不利に働くかもしれない。
相手がラポール、相手を真似ている状態、という手法を使っているのかもしれないと思う=自分とは違うかもしれないと気づくということである。
演じて似せていないのに 自分と似ていると思った人に対して人は好意を寄せる。
自然に似ている状態が正常な状態だとすると、演じて似せている状態は少し不自然な状態だといえる。
ラポールの手法とは、仲の良い人たちは自然に似ているという考えに基づき、自分はあなたと同じだよ思わせ、相手からの好意を受けたい時に使うものである。
通常の自分の行動を中断し、相手に合わせて演じることである。
よって、自分が嫌いな人が、自分と同じ行動をわざととったと思った時、あなたはどう行動し、どう思うだろうか。
私は、逆の行動をとるかも知れない。
この人と同じは嫌だと思うかもしれない。
この人は、自分とは違うから、わざわざ私に合わせる為に、演技をしているのかと思うかもしれない。
ラポール、なぜか日本では「橋を架ける」と言われる。
フランス語だが、実際のフランス語の訳だとそんな意味にはならない。
昔、心理学用語として時の精神科医が 患者との 調和した関係 を指す言葉として生まれた。
また、English.Wikipediaさんによれば、building rapport≒調和した関係の構築≒共感 であり、信頼関係としてしまうのは拡大解釈ともいえる。
グーグル翻訳さんを見ると、誰か日本人?が書き換えた節が見える。
実際のフランス語は rapport=報告、関係、レポート である。
日本人に馴染み深いレポートだが、実際にフランス語の発音を聞くとラポールに聞こえる、というかむしろリンゴ?に聞こえる。
結論としては、「相手を真似ている状態≒共感≒調和した関係」は同義であると言える。
恐らく、多くの部分で最初に日本にNLPを運んだ人たち、ビジネスチャンスととらえた人たちは、英語の意味を理解できなかったのだろう。
橋の骨組みが脆すぎて、工事が延期されてきたのだろう。
骨組みは、その道のプロが崩れ落ちないように施工するものである。
もしくは、誤訳させたほうが、彼らの商売にはうまくいったのだろうか。
とあるブログで「海外でトレーナーズトレーニング(講師を育成する講義)を受けているが、英語で話す講師の言葉が理解できなかった。」というようなことが書かれていた。
講師に「意味が理解できているか?」と呼び出されたとも書かれていた。
話す速度が速かったのだろう。
トレーナーズトレーニングはかなりの早口で進められる。
そんな日本人たちが日本で広めていったのである。
誤訳は多いはずである。
恐らく、生徒は比喩をよく使うように指示される。
その講師は心理学で使われるラポールを説明する時に、このもやもやした目に見えない共感というもの、患者との調和状態を作りだすために、橋を架ける ように(相手を真似しよう)と言ったのではなかろうか。
日本語の信頼関係を考えてみよう。
信頼関係= 相互に 信頼できている関係である。
ラポールは、考えてみると片側から架けた橋である。
よく心理学では、自分の気持ちは外に出し、相手に共感の意を伝えることが重要とされる。
悪く言えば、見せかけるということであり、ラポールにこちら側の心の状態は関係ない。
架けた後の達成されたい輝かしい願望がある。
通常、橋は両側から施工され架けられていく。
ラポールという手法を用いて相手を真似する人は、相手のことを信頼しているだろうか。
多くの場合、好意をよせて欲しい異性だったり、お金を運んでくれる相手だったり、何かを得たい、好かれたい、信頼を得たいと思っている人に用いる。
相手からは信頼して欲しいと思っていたとして、自分はどうだろうか。
そして、演技をしていたこと、仮面をつけていたことがばれた時どうなるだろうか。
そのうち、そのままシンプルに本当に似ているもの同士、気が合うもの同士の自然な関係がよいということを実感することができるかもしれない。
しかし、実際にはそんなシンプル生活は社会人生活では難しく、ラポールという手法を習わなくても相手に合わせる、少し似せるということは、すでに活用してきていた私であった。
仕事を効率的に回す為に相手の波長に合わせるよう努力すると、相手が思ったように動いてくれる可能性が高くなり、それはNLPを学ぶ前から経験により必然的に実行していた。
多くの人は意識して相手に合わせる、ラポールという相手を真似ている状態を多かれ少なかれ既に実行してきたのではないだろうか。
意識して行うラポールという手法。
無意識に必然的に実行できる状態になるまで、何かをつかめるまで、仕事においては使ってみてもいいのかもしれない。
本当に信頼を得るためにするべきことは何なのか?
相互の信頼という面において、両岸から施工される橋のような関係が望ましく、もろく崩れ落ちないように、まずは自分自身の屋台骨をしっかり築き、折れない心の強さを身に付けることが必要かもしれない。
小さい頃からの教育が、患者のいない世界を作るのかもしれない。
ラベル:
NLP,
NLPの欧米式取扱説明書,
キャリブレーション,
ビジネス
2016年12月3日土曜日
目標や夢は人に言わない方がうまくいく? NLPの目標設定モデルは無意味?
NLPのセミナーでは決まって今日の目標や、今後の目標を考えて人に宣言する!という時間がある。
あの手この手で少し方法や名称が違うが目標を宣言するワークはとても多い。
実は周りで聞き役となる人にとっては、宣言した人に対して褒めたり、励ましたり、応援したりしなければいけないワークなのだ。
もんもんとしてきた。
言いたくない、めんどくさい。
こんなチャンスは滅多にない。
雲海は条件がそろわないと見ることはかなわないのだ。
調べてみると、かなり以前より 目標を人に宣言すると実現しない可能性が高くなる が、宣言した本人の満足感は高まるという実験結果がでていたようだ。
これが、NLPの目標設定の為のワークの満足度が高い理由なのだろう。
しかし、夢を見ることはできるが、条件がそろわないとかなわないのだ。
私は幼稚園の時、夢を書こうという時間があり、その時「くだらない」というようなことをめちゃくちゃ思った。
なんて夢のない幼稚園生だったのだろう。
夢・私なかったんですけど?幼稚園生ながら空気よんで現実的そうな適当な嘘を書いておいた!
幼稚園生に嘘をつかせる教えなんて、ほんと大人に教えてもろくなことないと思った。
今思うと、それはまったくその通りで、本当に重要なミッション、目標は人に言わない方がうまくいくという定説を幼稚園生ながら無意識に理解していたのかもしれない。
人に言った時点でそれはかなわぬ夢となる可能性の方が高まるのだろうし。
その強烈な幼稚園生の時の思いはNLPを学んだことでより鮮明になった。
NLPでは目標を設定する時間が多すぎる。
この経験は人生の内緒のミッションの成功の為に重要な初等教育だった。
よって、NLPセミナーで教えられる目標設定の為の講義は「くだらない?」
NLPで目標設定する時間の本当の意味は、宣言することで 支持し助けてくれる人を募ること にあるのかもしれない。
重ねていうが、実際には達成されない、ついえる夢となる可能性が高まるようだ。
もちろん、支援したいと思える人であることも重要だ。
これは、政治家であれば政策目標であり、企業であれば経営目標となる。
政治家は市民から、企業は株主や従業員からの支持を(一瞬でもいいから)受ける為に。
目標達成には市民や株主や従業員の協力を取り付けなければならない。
この目標を達成しなければいけないという使命は、社畜を産み、多くの人の品性を低下させ、精神を疲弊させるのではないだろうか。
その為、立てられた目標はさまざまな解釈によって変えられたり、達成の度合いは軽視され、達成不要となることが多い。
よって、適切な現実的な目標設定が必要である。
そして、影響力のある支援者を募ること がビジネスにとって最重要である。
NLPはアメリカでは政治家や企業のリーダーシップトレーニング、パフォーマンス力の向上のツールとしてセミナー運営会社が活用しているようだ。
支援を募る為には、パフォーマンス力と一定のレベル以上である必要はあるだろう。
初等教育の時点で、ある一定のレベルに達していれば、目標設定を他人が強要しなくても成功するものは多いだろう。
個々の中での目標はあったとしても、人前で発表させることは目標達成をしづらくする。
ただ、最近はこういったセミナーの影響なのか部下のマネジメントという観点から目標を立てさせるという時間があったりする。
評価も目標設定から達成の度合いが重要な要素を占めてしまう会社もある。
部下としては、その目標設定いらなくね?と思っていた。
ある程度までいくと、自分との戦いになるだけである。
そういう時、立てた目標なんてほとんど関係なくなった。
「一日一食にしよう!」とか、自分一人だけで達成できるような現実的な目標設定ならいいかもしれないが、一人で達成できないような目標は人に言わない方がいい。
また、自分で決めた主観的な目標よりも、他人に求められる客観的な目標の方が人は 使命感や必要性 を強く感じ達成出来るかもしれない。
医者に「たばこを辞めないなら、手術しない。」と言われると、どんなに目標として頑張ってみても成功しなかった禁煙が成功するように。
また、 サイバネティックス についての投稿で紹介しているように、目標は無意識に達成されることが望ましく、一瞬の直感の連続を繰り返すことが目標達成の秘訣という考えもある。
これからは、客観的な現実的な目標を指示してくれる、支援者を募れるようなパフォーマンスの練習場としてセミナーを活用しよう。
そして、達成力を高める為に 本当に大切な目標は秘密 にしよう。
TED 2010.7 目標を自分に保つ
https://www.ted.com/talks/derek_sivers_keep_your_goals_to_yourself?utm_campaign=tedspread&utm_medium=referral&utm_source=tedcomshare
あの手この手で少し方法や名称が違うが目標を宣言するワークはとても多い。
実は周りで聞き役となる人にとっては、宣言した人に対して褒めたり、励ましたり、応援したりしなければいけないワークなのだ。
もんもんとしてきた。
言いたくない、めんどくさい。
こんなチャンスは滅多にない。
雲海は条件がそろわないと見ることはかなわないのだ。
調べてみると、かなり以前より 目標を人に宣言すると実現しない可能性が高くなる が、宣言した本人の満足感は高まるという実験結果がでていたようだ。
これが、NLPの目標設定の為のワークの満足度が高い理由なのだろう。
しかし、夢を見ることはできるが、条件がそろわないとかなわないのだ。
私は幼稚園の時、夢を書こうという時間があり、その時「くだらない」というようなことをめちゃくちゃ思った。
なんて夢のない幼稚園生だったのだろう。
夢・私なかったんですけど?幼稚園生ながら空気よんで現実的そうな適当な嘘を書いておいた!
幼稚園生に嘘をつかせる教えなんて、ほんと大人に教えてもろくなことないと思った。
今思うと、それはまったくその通りで、本当に重要なミッション、目標は人に言わない方がうまくいくという定説を幼稚園生ながら無意識に理解していたのかもしれない。
人に言った時点でそれはかなわぬ夢となる可能性の方が高まるのだろうし。
その強烈な幼稚園生の時の思いはNLPを学んだことでより鮮明になった。
NLPでは目標を設定する時間が多すぎる。
この経験は人生の内緒のミッションの成功の為に重要な初等教育だった。
よって、NLPセミナーで教えられる目標設定の為の講義は「くだらない?」
NLPで目標設定する時間の本当の意味は、宣言することで 支持し助けてくれる人を募ること にあるのかもしれない。
重ねていうが、実際には達成されない、ついえる夢となる可能性が高まるようだ。
もちろん、支援したいと思える人であることも重要だ。
これは、政治家であれば政策目標であり、企業であれば経営目標となる。
政治家は市民から、企業は株主や従業員からの支持を(一瞬でもいいから)受ける為に。
目標達成には市民や株主や従業員の協力を取り付けなければならない。
この目標を達成しなければいけないという使命は、社畜を産み、多くの人の品性を低下させ、精神を疲弊させるのではないだろうか。
その為、立てられた目標はさまざまな解釈によって変えられたり、達成の度合いは軽視され、達成不要となることが多い。
よって、適切な現実的な目標設定が必要である。
そして、影響力のある支援者を募ること がビジネスにとって最重要である。
NLPはアメリカでは政治家や企業のリーダーシップトレーニング、パフォーマンス力の向上のツールとしてセミナー運営会社が活用しているようだ。
支援を募る為には、パフォーマンス力と一定のレベル以上である必要はあるだろう。
初等教育の時点で、ある一定のレベルに達していれば、目標設定を他人が強要しなくても成功するものは多いだろう。
個々の中での目標はあったとしても、人前で発表させることは目標達成をしづらくする。
ただ、最近はこういったセミナーの影響なのか部下のマネジメントという観点から目標を立てさせるという時間があったりする。
評価も目標設定から達成の度合いが重要な要素を占めてしまう会社もある。
部下としては、その目標設定いらなくね?と思っていた。
ある程度までいくと、自分との戦いになるだけである。
そういう時、立てた目標なんてほとんど関係なくなった。
「一日一食にしよう!」とか、自分一人だけで達成できるような現実的な目標設定ならいいかもしれないが、一人で達成できないような目標は人に言わない方がいい。
また、自分で決めた主観的な目標よりも、他人に求められる客観的な目標の方が人は 使命感や必要性 を強く感じ達成出来るかもしれない。
医者に「たばこを辞めないなら、手術しない。」と言われると、どんなに目標として頑張ってみても成功しなかった禁煙が成功するように。
また、 サイバネティックス についての投稿で紹介しているように、目標は無意識に達成されることが望ましく、一瞬の直感の連続を繰り返すことが目標達成の秘訣という考えもある。
これからは、客観的な現実的な目標を指示してくれる、支援者を募れるようなパフォーマンスの練習場としてセミナーを活用しよう。
そして、達成力を高める為に 本当に大切な目標は秘密 にしよう。
TED 2010.7 目標を自分に保つ
https://www.ted.com/talks/derek_sivers_keep_your_goals_to_yourself?utm_campaign=tedspread&utm_medium=referral&utm_source=tedcomshare
ラベル:
NLP,
NLPの欧米式取扱説明書,
TEDを見ると欧米の今が分かる,
ビジネス,
目標設定
2016年11月10日木曜日
超☆能力があれば相手の心が読める NLPのキャリブレーションは誤訳?
心理状態の変化と訳したのは拡大解釈?誤訳?であり、正しくは「あなたの非常に鋭い感覚を使用して、他の人に発生する瞬間の変化に気付く能力」≒観察力である。
ある講師にとある部分を突っ込んだところ、「あ~、NLPを最初に訳した人達は、NLPのことをよく分かっていなかったみたいよ~」とのこと。
だったら、修正すればいいのに!と思うが、何か問題があるのだろう。
NLPのトレーニング中で、私はキャリブレーションについて調べることになった。
ネットの内容はだめだけど、本の内容は参考にしていいとのことだったので、ABNLPのタッド・ジェームス氏のタイムラインセラピーの翻訳書を手に取る。
キャリブレーションについて触れている本はあまりなかったが、この本には用語集があった。
アマゾンの評価で訳が全然違うと書かれていたのが心配で、原著をお持ちの方に確認してみた。
結果、訳は拡大解釈であった。
Calibrate:The ability to notice changes, which occur from moment to moment in another person, using your sensory acuity.
意訳すると、「あなたの感覚の鋭敏さを使用して、他の人に発生する瞬間の変化に気付く能力」である。
また、sensory acuityも実はNLP用語であり、直訳すると「感覚視力」だった。
Sensory acuity:Having very acute levels of sensory perception.
意訳すると、「非常に鋭い感覚知覚を持っている」ということだ。
日本語訳
キャリブレーション:自らの感覚的鋭敏さを活用し刻一刻と変化する相手の心理状態を正確に見極める能力Sensory acuity:Having very acute levels of sensory perception.
意訳すると、「非常に鋭い感覚知覚を持っている」ということだ。
日本語訳
ここで分かることは、日本語訳ではなぜか心理状態と断言してしまっていることである。
この翻訳書の出版日は私にとって考え深いものであり、メッセージ性を感じる。
何かの声や数字は、何かを暗に伝えるメッセージだったのかもしれない。
しかし当然ながら、原著や著者によると、心理状態は推測でしかなくキャリブレーションとは違う と考え教えている。
読心術って、☆超☆能力とかっていう最先端科学技術がないと無理。
ほとんどは、これまでの培った自分の経験からくる気づかいや勘違いを含めた推察力だろう。
読心術って、☆超☆能力とかっていう最先端科学技術がないと無理。
ほとんどは、これまでの培った自分の経験からくる気づかいや勘違いを含めた推察力だろう。
NLPのキャリブレーションは、前後の違いを他人が比べられる、心理状態以外の知覚可能な変化に気づく力のことである。
英語から考えて、どんどん変わってしまう視覚化可能な身体的変化と言った方があっている可能性は高い。
物事の状態や変化を客観的に注意深く見ること。=観察 であるので、やはり観察力というのが日本語としては相応しいと思われるが、実際に聴覚的なものも前後の変化に気づくことが推測ではなくできるので、心理状態を省いて伝えるのであればセーフであろう。
英語から考えて、どんどん変わってしまう視覚化可能な身体的変化と言った方があっている可能性は高い。
物事の状態や変化を客観的に注意深く見ること。=観察 であるので、やはり観察力というのが日本語としては相応しいと思われるが、実際に聴覚的なものも前後の変化に気づくことが推測ではなくできるので、心理状態を省いて伝えるのであればセーフであろう。
一言でいうならここでいうNLPのキャリブレーション≒観察力であり推察力ではない。
「あっ、今眉毛が1ミリくらい上に動いた」みたいな。
観察眼と捉えた方がいいような気もするが、、、
観察眼と捉えた方がいいような気もするが、、、
鋭い観察力=keen powers of observation
であるので、ビジネスや日常でキャリブレーションを観察力と同義語だと思って話さないようにしたほうがよい。
射程距離を測定する、(銃の)口径を測定する、較正する=Calibrate
である。
原著ではCalibrateだが、日本語訳ではCalibrationになっている。
精密機器、銃とかの正確な測定に関する言葉かも?
おそらくこのNLP用語を最初に作成した人は、銃が好きな欧米人だったのだろう。
原著ではCalibrateだが、日本語訳ではCalibrationになっている。
精密機器、銃とかの正確な測定に関する言葉かも?
おそらくこのNLP用語を最初に作成した人は、銃が好きな欧米人だったのだろう。
NLPを人に教えるところまで理解しようと部分的にスポットを当てて調べていくと、こういう気づきは多いのかもしれない。
また、NLPの団体によって教え方や定義は違い、教えやすいように作った用語、造語である以上、それが分かるNLP関係者の中でだけ使う言葉として捉えていきたいところだ。
NLPではなくビジネスコミュニケーションとして教えている団体もある。
ビジネス用語として会社で使っている上司がいたが、思わずつっこみたくなってしまった。
会社では、極力日本語を使おう!
NLPではなくビジネスコミュニケーションとして教えている団体もある。
ビジネス用語として会社で使っている上司がいたが、思わずつっこみたくなってしまった。
会社では、極力日本語を使おう!
NLPに限らず他国のものを日本語に訳したものには誤訳や拡大解釈がつきものであり、本に至ってはその翻訳家の腕にかかわらず、出版社とバックの思惑が重なって原著と全然違うことがある。
ある翻訳家によると、本が売れる為には!ということやその内容を売る為には!とかを考えて翻訳していると言っている。
決められたページ数の中に内容を押し込む為には、なんとかして纏めなければならない。
英語を日本語に訳すと日本語の方が文字量が多くなってしまう為、重要な部分の意味が変わってしまうような端折りをすることもあるようだ。
ある翻訳家によると、本が売れる為には!ということやその内容を売る為には!とかを考えて翻訳していると言っている。
決められたページ数の中に内容を押し込む為には、なんとかして纏めなければならない。
英語を日本語に訳すと日本語の方が文字量が多くなってしまう為、重要な部分の意味が変わってしまうような端折りをすることもあるようだ。
出来れば原著と翻訳書を比較して読むことをおすすめする。
英語が分からない場合、スキャン翻訳アプリを利用するのもよい。
英語が分からない場合、スキャン翻訳アプリを利用するのもよい。
出来なければ翻訳された外国の書物などは、原著との違いがあることを十分理解した上で読み進めていこう。
2016年9月5日月曜日
メラビアンの法則はいつ社内・ビジネス研修から消えるのか?
正しい認識がネット上にあふれているのに、いっこうに消えていかないこの法則。
最近でも、もっぱら社内研修やビジネスセミナーで使われている。
転職が多いのがばれる・・・が、業界最大手も含めて少なくとも4社でこれを教えていた。
ビジネスセミナーでは若干、正しい認識の方が優先されはじめ、使われなくなってきたかもしれないが、社内研修ではまだまだ健在である。
企業の研修担当は、昔のコミュニケーションに関わるNLPなどのセミナーの知識をそのまま更新せずに使い続けているからだろう。
この法則、完全に誤用である。
接客業や電話応対などの研修において、第一印象は7秒で決まるとか言ってしまっているが、これは事前にそう思い込まされたことによる人の思い込みを利用した、この法則を売る為の言葉である。
今一度、自分の周りの知人やお客様への第一印象がいつ決まったのかを思い返して欲しい。
ほとんどの場合、最初の7秒なんて覚えていないのではないだろうか?
「終わりよければすべてよし。」というように、私の接客経験から最初怒っていたとしても、1時間話して帰り際に笑っていればOKである。
ビジネスでの体験から、人の重要な印象はその人に関わった最後の方が重要だと思う。
NLPを教える講師は、これが誤用であることが分かっていてもこの内容が生徒を納得させるのに有効である為に使い続けている人たちもいる。
間違いが分かっていても、間違いであることを伝えない。
なぜそうなるのか?
ひとえに、NLPとはそういうものだから・・・
生徒に信じ込ませることができればOKな考えだからである。
NLPは今では科学的ではない疑似科学ということが一般的になっている。
今では違うと分かっていることが多い。
なぜ、世の中の真実ではないと分かっているのに、間違いを教えるのか?
みんなが教えてくれない「NLPの前提」の本当の意味 にもあるとおり、生徒にそう信じて欲しいからである。
アルバート・メラビアンの法則、この法則が日本に入ってきたのはいったいいつだろう?
どうやら、有名な人が誤用として広めてしまったらしい。
実際の実験では、写真と音声を使った単調な実験であったよう。
当のアルバートさん本人も、通常のコミュニケーションにおいては使えないと発言しているようだ。
このことをとあるNLPのトレーニング中に活用しようとしたら、教えている内容に誤用があるから使うなと止められたようだ。
知らない人の写真を見て、同時に音声を聞いて、被験者がその時どう思ったか、というものらしい。
他の情報はない。
相反する2つの情報を被験者が受け取った時に、どう受け止めるか、支持するかという単調な実験らしい。
「怒っている表情」の写真を見ながら、「怒ってないよ」という音声を聞くというようこと。
実際のコミュニケーションにおいて、初対面であれば表情を支持することはありえるが、その人の普段の顔が怒り顔だったり、その人に最近起こった出来事などを知っていれば本当に怒っていないという言葉を支持することになる可能性がある。
確かに、こんな単調な実験だったとしたら、言語は7%になるかもしれない。
この%の数字も、考えてみると好きな数字を並べただけなんじゃないかなと思える。
「7」って、好きな人多いし。
「7-38-55」
覚えやすい好まれる数字であった、というのも広まった要因かも知れない。
新聞の見出しに出たら、思わず見てしまう数字だ。
たまにNLPの内容がTVで登場することがある。
都合よく編集され、世の真実、実際のNLPの教えはどこにいったのか、、、横道をそれて放送される。
その方が分かりやすいと感じる人が多いからのようだ。
そして、NLPを知らない人はTVで放送された情報を鵜呑みにして人に伝えてしまうことがある。
よくネットを信じられるとこまるNLP講師は、ネットは嘘ばかりという。
恐らく、そういう講師の作るHPには、なんらかのカラクリがあるのだろう。
ネットは嘘もあるし真実である部分もある。
それは、TVも本も伝聞もネットも同じことだと思う。
今、必要なのは、それを 見分けられる 経験と検索力なのかもしれない。
最近でも、もっぱら社内研修やビジネスセミナーで使われている。
転職が多いのがばれる・・・が、業界最大手も含めて少なくとも4社でこれを教えていた。
ビジネスセミナーでは若干、正しい認識の方が優先されはじめ、使われなくなってきたかもしれないが、社内研修ではまだまだ健在である。
企業の研修担当は、昔のコミュニケーションに関わるNLPなどのセミナーの知識をそのまま更新せずに使い続けているからだろう。
この法則、完全に誤用である。
接客業や電話応対などの研修において、第一印象は7秒で決まるとか言ってしまっているが、これは事前にそう思い込まされたことによる人の思い込みを利用した、この法則を売る為の言葉である。
今一度、自分の周りの知人やお客様への第一印象がいつ決まったのかを思い返して欲しい。
ほとんどの場合、最初の7秒なんて覚えていないのではないだろうか?
「終わりよければすべてよし。」というように、私の接客経験から最初怒っていたとしても、1時間話して帰り際に笑っていればOKである。
ビジネスでの体験から、人の重要な印象はその人に関わった最後の方が重要だと思う。
NLPを教える講師は、これが誤用であることが分かっていてもこの内容が生徒を納得させるのに有効である為に使い続けている人たちもいる。
間違いが分かっていても、間違いであることを伝えない。
なぜそうなるのか?
ひとえに、NLPとはそういうものだから・・・
生徒に信じ込ませることができればOKな考えだからである。
NLPは今では科学的ではない疑似科学ということが一般的になっている。
今では違うと分かっていることが多い。
なぜ、世の中の真実ではないと分かっているのに、間違いを教えるのか?
みんなが教えてくれない「NLPの前提」の本当の意味 にもあるとおり、生徒にそう信じて欲しいからである。
アルバート・メラビアンの法則、この法則が日本に入ってきたのはいったいいつだろう?
どうやら、有名な人が誤用として広めてしまったらしい。
実際の実験では、写真と音声を使った単調な実験であったよう。
当のアルバートさん本人も、通常のコミュニケーションにおいては使えないと発言しているようだ。
このことをとあるNLPのトレーニング中に活用しようとしたら、教えている内容に誤用があるから使うなと止められたようだ。
他の情報はない。
相反する2つの情報を被験者が受け取った時に、どう受け止めるか、支持するかという単調な実験らしい。
「怒っている表情」の写真を見ながら、「怒ってないよ」という音声を聞くというようこと。
実際のコミュニケーションにおいて、初対面であれば表情を支持することはありえるが、その人の普段の顔が怒り顔だったり、その人に最近起こった出来事などを知っていれば本当に怒っていないという言葉を支持することになる可能性がある。
確かに、こんな単調な実験だったとしたら、言語は7%になるかもしれない。
この%の数字も、考えてみると好きな数字を並べただけなんじゃないかなと思える。
「7」って、好きな人多いし。
「7-38-55」
覚えやすい好まれる数字であった、というのも広まった要因かも知れない。
新聞の見出しに出たら、思わず見てしまう数字だ。
たまにNLPの内容がTVで登場することがある。
都合よく編集され、世の真実、実際のNLPの教えはどこにいったのか、、、横道をそれて放送される。
その方が分かりやすいと感じる人が多いからのようだ。
そして、NLPを知らない人はTVで放送された情報を鵜呑みにして人に伝えてしまうことがある。
よくネットを信じられるとこまるNLP講師は、ネットは嘘ばかりという。
恐らく、そういう講師の作るHPには、なんらかのカラクリがあるのだろう。
ネットは嘘もあるし真実である部分もある。
それは、TVも本も伝聞もネットも同じことだと思う。
今、必要なのは、それを 見分けられる 経験と検索力なのかもしれない。
2016年8月3日水曜日
みんなが教えてくれない「NLPの前提」の本当の意味
NLPには、「NLPの前提」というものがある。
日本語の用語集を見ると、「必ずしも真実でない、生徒に受け入れられ、信じてくれると、NLPのプラクティショナーとしての成果を向上させることができる想定や便利なビリーフ(普遍的な価値感)。」と書いてある。
教える側からすると、「NLPの前提」を信じてくれると講師は助かる。
教わる側も、何かいいことあるかもしれない。
ビリーフは直訳すると、信念、信じること、思い込み。
ABNLPのタッド・ジェームス氏の原著を見ると、NLPでのビリーフはNLP用語であり、私なりに意訳すると 世界中で 普遍的に信じられているもの、価値観のようなものだと思う。
道徳や善悪の一般的な考えなど、世界中の多くの人に信じられていることを指すようだ。
しかし、必ずしも真実ではない想定とは、、、
もちろん日本人講師はそんなことセミナー中には言ってくれない。
言ってくれてたら、すばらしい。
分かっている人と分かっていない人とだと、会話が大変である。
プラスマイナス=0
生徒にこの印象を与えてしまうと意味がない。
生徒を混乱させ、NLPは結局なにも意味がないと思わせてしまう。
NLPは科学的である、しかし、今では科学的でない部分が多いと分かっている。
NLPは役にたつ、しかし、使い方を間違えると逆効果である。
NLPをほんとうに知っている人にあう時は、そのまま素の方がいいことが多い。
初めてNLPを学ぶ人に、このようなほんとうのことを、伝えたらどうだろうか。
教えたい情報にマイナスの情報(正しい情報)をつけると生徒は結局意味ないじゃんと思って帰っていく。
矛盾した情報を与えると生徒は混乱する。
それでは、講師は困る。
その為、正しい矛盾した情報はわざと与えない。
教えた情報、プラスの情報のみ、メリットのみを与える。
生徒はその方が、聞きやすく、分かりやすいと感じるようである。
アマゾンや楽天などで、商品の口コミを見ないで買う人はいるだろうか。
いるだろうが、私は見てから買う。
メリットとデメリット両方読みたい。
時々、いいデメリットの紹介だと思うものが時間がたつと消されていたりすることに気が付く。
商品のデメリットは説明書の最後にちょこっとだけ書かれていたりする。
商品を売る側の気持ちを考えてみよう。
講師としては、セミナー中に生徒が困った質問をすること(NLPって役にたたないんじゃない?とか)や、非協力的な状況(ワークは生徒が協力してくれないと成り立たない。)を抑制しておきたい。
すばらしいことに、日本ではそんな揚げ足をとるような生徒は、空気を読んであまりいない。
海外ではそうはいかない。
そういう時に、「NLPの前提」や生徒にあらかじめ約束させる規約は重要である。
やはり、NLPの考え方は、キリスト教から来ているのだろうか。
世界で一番のベストセラー本は聖書と考える人もいる。
西洋人にとっての馴染みある指南書である。
講師は牧師・宣教師ともいえるだろうか。
有名な人生の指南書である「7つの習慣」、実はこれもキリスト教の一派の聖書が元のようである。
今では、現在伝えられているキリスト教の教えをそのまま受け取る人は、なかなかいないだろう。
原始の宗教はかなり変更がされ、一部の人たちによって、都合よく改ざんされてきたからである。
確かに、信じることで救われることはある。
聖書に書かれている内容がすべて改ざんされたとは思っていない。
現在のキリスト教は金儲け主義に走っているように私には思える。
NLPも金儲けの手段として使われているように私には思える。
「NLPの前提」や教えをすべて世の真実と思っている人がいるのはなぜなのか?
ひとえに、NLPはそういうものだからである。
願わくば、そういう前提があることを知ってからお話ししたいものである。
現在は、プレゼンテーション方法を教える場として活用されているようだ。
日本語の用語集を見ると、「必ずしも真実でない、生徒に受け入れられ、信じてくれると、NLPのプラクティショナーとしての成果を向上させることができる想定や便利なビリーフ(普遍的な価値感)。」と書いてある。
教える側からすると、「NLPの前提」を信じてくれると講師は助かる。
教わる側も、何かいいことあるかもしれない。
ビリーフは直訳すると、信念、信じること、思い込み。
ABNLPのタッド・ジェームス氏の原著を見ると、NLPでのビリーフはNLP用語であり、私なりに意訳すると 世界中で 普遍的に信じられているもの、価値観のようなものだと思う。
道徳や善悪の一般的な考えなど、世界中の多くの人に信じられていることを指すようだ。
しかし、必ずしも真実ではない想定とは、、、
もちろん日本人講師はそんなことセミナー中には言ってくれない。
言ってくれてたら、すばらしい。
分かっている人と分かっていない人とだと、会話が大変である。
プラスマイナス=0
生徒にこの印象を与えてしまうと意味がない。
生徒を混乱させ、NLPは結局なにも意味がないと思わせてしまう。
NLPは科学的である、しかし、今では科学的でない部分が多いと分かっている。
NLPは役にたつ、しかし、使い方を間違えると逆効果である。
NLPをほんとうに知っている人にあう時は、そのまま素の方がいいことが多い。
初めてNLPを学ぶ人に、このようなほんとうのことを、伝えたらどうだろうか。
教えたい情報にマイナスの情報(正しい情報)をつけると生徒は結局意味ないじゃんと思って帰っていく。
矛盾した情報を与えると生徒は混乱する。
それでは、講師は困る。
その為、正しい矛盾した情報はわざと与えない。
教えた情報、プラスの情報のみ、メリットのみを与える。
生徒はその方が、聞きやすく、分かりやすいと感じるようである。
アマゾンや楽天などで、商品の口コミを見ないで買う人はいるだろうか。
いるだろうが、私は見てから買う。
メリットとデメリット両方読みたい。
時々、いいデメリットの紹介だと思うものが時間がたつと消されていたりすることに気が付く。
商品のデメリットは説明書の最後にちょこっとだけ書かれていたりする。
商品を売る側の気持ちを考えてみよう。
講師としては、セミナー中に生徒が困った質問をすること(NLPって役にたたないんじゃない?とか)や、非協力的な状況(ワークは生徒が協力してくれないと成り立たない。)を抑制しておきたい。
すばらしいことに、日本ではそんな揚げ足をとるような生徒は、空気を読んであまりいない。
海外ではそうはいかない。
そういう時に、「NLPの前提」や生徒にあらかじめ約束させる規約は重要である。
やはり、NLPの考え方は、キリスト教から来ているのだろうか。
世界で一番のベストセラー本は聖書と考える人もいる。
西洋人にとっての馴染みある指南書である。
講師は牧師・宣教師ともいえるだろうか。
有名な人生の指南書である「7つの習慣」、実はこれもキリスト教の一派の聖書が元のようである。
今では、現在伝えられているキリスト教の教えをそのまま受け取る人は、なかなかいないだろう。
原始の宗教はかなり変更がされ、一部の人たちによって、都合よく改ざんされてきたからである。
確かに、信じることで救われることはある。
聖書に書かれている内容がすべて改ざんされたとは思っていない。
現在のキリスト教は金儲け主義に走っているように私には思える。
NLPも金儲けの手段として使われているように私には思える。
「NLPの前提」や教えをすべて世の真実と思っている人がいるのはなぜなのか?
ひとえに、NLPはそういうものだからである。
願わくば、そういう前提があることを知ってからお話ししたいものである。
現在は、プレゼンテーション方法を教える場として活用されているようだ。
ラベル:
NLP,
NLPの欧米式取扱説明書,
NLP用語,
タッド・ジェームス
2016年6月4日土曜日
アメリカではジョーク 日本ではお世辞 リフレーミングって嫌われる?
これが出来ると違う、とトップセールスマンに言われる。
セミナー中、ネガティブ発言を聞こえが良いポジティブにしようということでみんなで考えた。
嘘はきらいっと言ったら、トップセールスマンは詰まってしまったようだ。
リフレーミングとは、物事の意味、見方を変えること、創造的な考えの基礎であるそうだ。
物事の意味が変わると、人の反応や行動が変化すると考えている。
言葉で見方を変える、今までとは違う見方のきっかけを与えることで、クライアントにポジティブな感情を持つ時間を多く持って貰うことは多くの場面で有効だろう。
「命を救うために家にこもることは、人や環境を守ることに繋がる。」
言葉の意味、見方を変えること、うまい表現を創造すること、要はお世辞、ちょっと嘘?ともとれる。
ビジネスでは上司や部下、お客様に気に入られる継続した努力が必要かも?
欧米では、心理学の家族療法で使われていた用語だったようだが、多くの治療法で共通しているようで、児童文学などでも取り入れられているようだ。
日本では、カウンセラーのみならず、ビジネスマンも学ぶ用語として認識されているが、もともとお世辞という言葉で定着していた考えだと言える。
日本は建前、お世辞文化だ。
庶民の間でも日常のコミュニケーションにお世辞は使われてきた。
そこで、嫌われるお世辞ということにも目を向けなければいけない。
辞書を紐解くと、「お世辞=他人に対する愛想のよい言葉、人に気に入られるような上手な口ぶり。」である。
お世辞は嫌われる?
人によっては、嘘だと思ったら嫌われるかもしれない。
ただ、嘘でもうれしい人もいるかもしれない。
嘘でないお世辞、リフレーミングが出来るとよいね。
その為には、その相手のことをよく知る必要がある、同じリフレーミングの言葉でも人によってはうまくいく人といかない人がいる。
それがないように考えると意外とネガティブ発言によってはリフレーミングできる言葉がみあたらなかった。
「これしか思いつかなかった?」
とセミナー講師に言われてしまう・・・
心理学カウンセリングの基本かもしれないが、ネガティブなクライアントに対してはあまりこちらから言葉を創造せず、ただ共感の意を伝える、ボディランゲージ、ノンバーバル、相槌などだけで良いのかもしれない。
ビジネスのお客様やコーチングであればリフレーミングを試してみても良いのかもしれない。
English.Wikipedia さんによると、リフレーミングはジョーク、神話、伝説、おとぎ話、そして最も創造的な考え方の基礎とのこと。
ジョークとは、冗談(じょうだん)=ふざけた話、いたずら、軽口でありつつも、聞き手や読み手を笑わせたり、ユーモア、人を和ませたりするような短い話や洒落の事だ。
欧米ではジョークとして認識されているとは新しい発見だった。
創造性のある考えとされる代表各。
この時点で、アイパターンの理論を活用できるのであれば、目の動きは右側ってことだ。。。
きっと、できるトップセールスマンは右上に目が動く人が多いに違いない。
論文を読もう! NLPのアイアクセシングキュー/アイパターンは支持されない?
セミナー中、ネガティブ発言を聞こえが良いポジティブにしようということでみんなで考えた。
嘘はきらいっと言ったら、トップセールスマンは詰まってしまったようだ。
リフレーミングとは、物事の意味、見方を変えること、創造的な考えの基礎であるそうだ。
物事の意味が変わると、人の反応や行動が変化すると考えている。
言葉で見方を変える、今までとは違う見方のきっかけを与えることで、クライアントにポジティブな感情を持つ時間を多く持って貰うことは多くの場面で有効だろう。
「命を救うために家にこもることは、人や環境を守ることに繋がる。」
言葉の意味、見方を変えること、うまい表現を創造すること、要はお世辞、ちょっと嘘?ともとれる。
ビジネスでは上司や部下、お客様に気に入られる継続した努力が必要かも?
欧米では、心理学の家族療法で使われていた用語だったようだが、多くの治療法で共通しているようで、児童文学などでも取り入れられているようだ。
日本では、カウンセラーのみならず、ビジネスマンも学ぶ用語として認識されているが、もともとお世辞という言葉で定着していた考えだと言える。
日本は建前、お世辞文化だ。
庶民の間でも日常のコミュニケーションにお世辞は使われてきた。
そこで、嫌われるお世辞ということにも目を向けなければいけない。
辞書を紐解くと、「お世辞=他人に対する愛想のよい言葉、人に気に入られるような上手な口ぶり。」である。
お世辞は嫌われる?
人によっては、嘘だと思ったら嫌われるかもしれない。
ただ、嘘でもうれしい人もいるかもしれない。
嘘でないお世辞、リフレーミングが出来るとよいね。
その為には、その相手のことをよく知る必要がある、同じリフレーミングの言葉でも人によってはうまくいく人といかない人がいる。
それがないように考えると意外とネガティブ発言によってはリフレーミングできる言葉がみあたらなかった。
「これしか思いつかなかった?」
とセミナー講師に言われてしまう・・・
心理学カウンセリングの基本かもしれないが、ネガティブなクライアントに対してはあまりこちらから言葉を創造せず、ただ共感の意を伝える、ボディランゲージ、ノンバーバル、相槌などだけで良いのかもしれない。
ビジネスのお客様やコーチングであればリフレーミングを試してみても良いのかもしれない。
English.Wikipedia さんによると、リフレーミングはジョーク、神話、伝説、おとぎ話、そして最も創造的な考え方の基礎とのこと。
ジョークとは、冗談(じょうだん)=ふざけた話、いたずら、軽口でありつつも、聞き手や読み手を笑わせたり、ユーモア、人を和ませたりするような短い話や洒落の事だ。
欧米ではジョークとして認識されているとは新しい発見だった。
創造性のある考えとされる代表各。
この時点で、アイパターンの理論を活用できるのであれば、目の動きは右側ってことだ。。。
きっと、できるトップセールスマンは右上に目が動く人が多いに違いない。
論文を読もう! NLPのアイアクセシングキュー/アイパターンは支持されない?
ラベル:
NLP,
NLPの欧米式取扱説明書,
アイパターン,
ビジネス,
リフレーミング
2016年5月22日日曜日
右上は嘘じゃなく配慮かも! NLPのアイアクセシングキュー/アイパターンは支持されない?
調べると、あらゆる論文によって否定され、瞬間的なVAの一部のみ支持されており、あまり語られないリード表象(優位とは別)があり、ことわざの意味も考慮した結果、やはり使えない?ということに。
私はとあるトレーニング中、アイパターンについて検証をすることになったが、実際の結果をかみしても、使えない要因は多大にあり、嘘を見破るにはこれじゃだめ。
人生の質を左右する最強ツールは笑顔かもしれない。
人生で成功している方の多くは笑顔でいる時間が長いという。
海外では笑顔でいることを幼少期より学ぶ?らしい。
笑顔は学ぶものだったのだ。
アイパターンって、目が見えないと意味がない!
普段から笑い顔の人って、いつも目が細くなっているから目の動きなんて見せない!!
なんて完璧な戦略なんだろう!!!
「これからアイパターンの検証をします。」
という場であれば、被験者は惜しみなく協力してくれる。
可愛くスタンバってくれた。
実験であっても、質問を投げかけると目は動いてしまう。
が、しかし。。。
あまり語られないリード表象システム(優位表象システムとは別)と言われるものがある。
何かを思う時、内部情報にアクセスする時、その人が一番最初に使うシステム、仕組み、決まった動きのことだと定義している。
アイパターンからリードする目の動きを見つけ出すことができるとしている。
何かを思う時、リードする目の動きがあり、通常のアイパターンで語られる目の動きはその後にやってくる?
そこから言えることは、だいたいの質問で2回は目が動くかもしれないということ。
そもそもリード表象しかないのかも・・・
また、English.Wikipediaさんによれば、眼球運動/視線解析は 瞬間的な思考のVA(Kは入らない)は支持される部分もあるが、一般理論の根幹部分はあてはまらない と1980年代に示されたようだ。
そういえば、検証でもKはその通りに動かない人が多かった。
私自身の検証結果としては以下があげられる。
ゆっくり言ってゆっくり待たないと目がパターン通りに反応しない人。
特定の場所に反応しない人。
わざわざ目を動かしてくれちゃってると思われる人。
どんなにがんばっても逆に目が動く人が10人中2人、しかも、全部が逆に動くのではなくKのみ逆だった。
リード表象って思考のクセってこと?
基本的には無意識に動く、クセのような動きの為変わらない。
しかし、クセは無意識から意識にあがり、変えようと意識し続けると変わることもある。
私のリード表象はVのよく嘘をつく時に動くとされる右上である。
そもそも、ガチャ目で利き目が右。
見る人が見れば真顔でも黒目が少し右にずれている。
何時も、街を歩く時には足元でなく看板や空などの上を見ていると言われる。
日常の生活習慣により、私のリード表象は決まってしまったのではないかと思われる。
残念ながら「これからアイパターンの検証をします。」という場でアイパターンの事を知ってしまっている人を被験者に選ぶことは、リード表象を確認することを困難にさせた。
ただ、目が泳いだ後にゆっくりとパターン通りに動かした被験者はいた。
海外のサイトを参考にアイパターンの一般的な図を作成してみた。
そもそも、嘘をつく右上っていっても、質問されたことが経験上なければ、右上に動くことが一番多いと思われ、嘘というか身に覚えがない!という潔白を証明することになるかもしれない・・・
親切に注意書きを用意してくれる団体であれば、一般的な右利きの人の場合のパターンであると書いてある。
こう考えていくと何パターン、何通りもありそうだ。
質問によるかもしれないし、その他要因もいっぱいあるかも?
日本人って、幼少期に強制された右利きが多い?
私、先天的には左利きかも。
また、民族の習性によって思考する場所が違ったりすることもあるかもしれない。
サブモダリティを考えてみることは興味深い。
過去に作り出した映像を思い出そうとするとき、どこにその映像はあるのか?
通常の一般理論であれば、作った時は右上でも思い出す時は左上だ。
しかし私の場合、いずれの場合でも右上にあることが多いのだ。
どのあたりにあるのか?を考えていった時、その物事によってその映像がある場所は違わないだろうか?
その物事を創造した映像や記憶の中の映像を思い出す時、実際にその映像を作ったり見たりした場所を見る気がする。
その時によって、右上だったり、左下だったりまちまちである。
その人の思考の速度やその時の状況によって、目はどんどん動く。
質問から連想される別の思い出や想像に飛んでいってしまうこともある。
「いつおわるのかなぁ~」とか♪
ただ、こんなにも人から使えるかも?と思わせてしまうのは確かである。
目が泳ぐという慣用句があったり、目に関することわざもある。
有名なことわざに「目は口ほどに物をいう」というものがある。
ことわざの意味は「情のこもった目つきは、言葉で説明するのと同等に、相手に気持ちが伝わるものだということ。」だ。
私はとあるトレーニング中、アイパターンについて検証をすることになったが、実際の結果をかみしても、使えない要因は多大にあり、嘘を見破るにはこれじゃだめ。
人生の質を左右する最強ツールは笑顔かもしれない。
人生で成功している方の多くは笑顔でいる時間が長いという。
海外では笑顔でいることを幼少期より学ぶ?らしい。
笑顔は学ぶものだったのだ。
普段から笑い顔の人って、いつも目が細くなっているから目の動きなんて見せない!!
なんて完璧な戦略なんだろう!!!
「これからアイパターンの検証をします。」
という場であれば、被験者は惜しみなく協力してくれる。
可愛くスタンバってくれた。
実験であっても、質問を投げかけると目は動いてしまう。
が、しかし。。。
あまり語られないリード表象システム(優位表象システムとは別)と言われるものがある。
何かを思う時、内部情報にアクセスする時、その人が一番最初に使うシステム、仕組み、決まった動きのことだと定義している。
アイパターンからリードする目の動きを見つけ出すことができるとしている。
何かを思う時、リードする目の動きがあり、通常のアイパターンで語られる目の動きはその後にやってくる?
そこから言えることは、だいたいの質問で2回は目が動くかもしれないということ。
そもそもリード表象しかないのかも・・・
また、English.Wikipediaさんによれば、眼球運動/視線解析は 瞬間的な思考のVA(Kは入らない)は支持される部分もあるが、一般理論の根幹部分はあてはまらない と1980年代に示されたようだ。
そういえば、検証でもKはその通りに動かない人が多かった。
私自身の検証結果としては以下があげられる。
ゆっくり言ってゆっくり待たないと目がパターン通りに反応しない人。
特定の場所に反応しない人。
わざわざ目を動かしてくれちゃってると思われる人。
どんなにがんばっても逆に目が動く人が10人中2人、しかも、全部が逆に動くのではなくKのみ逆だった。
リード表象って思考のクセってこと?
基本的には無意識に動く、クセのような動きの為変わらない。
しかし、クセは無意識から意識にあがり、変えようと意識し続けると変わることもある。
私のリード表象はVのよく嘘をつく時に動くとされる右上である。
そもそも、ガチャ目で利き目が右。
見る人が見れば真顔でも黒目が少し右にずれている。
何時も、街を歩く時には足元でなく看板や空などの上を見ていると言われる。
日常の生活習慣により、私のリード表象は決まってしまったのではないかと思われる。
ただ、目が泳いだ後にゆっくりとパターン通りに動かした被験者はいた。
そもそも、嘘をつく右上っていっても、質問されたことが経験上なければ、右上に動くことが一番多いと思われ、嘘というか身に覚えがない!という潔白を証明することになるかもしれない・・・
親切に注意書きを用意してくれる団体であれば、一般的な右利きの人の場合のパターンであると書いてある。
こう考えていくと何パターン、何通りもありそうだ。
質問によるかもしれないし、その他要因もいっぱいあるかも?
日本人って、幼少期に強制された右利きが多い?
私、先天的には左利きかも。
また、民族の習性によって思考する場所が違ったりすることもあるかもしれない。
サブモダリティを考えてみることは興味深い。
過去に作り出した映像を思い出そうとするとき、どこにその映像はあるのか?
通常の一般理論であれば、作った時は右上でも思い出す時は左上だ。
しかし私の場合、いずれの場合でも右上にあることが多いのだ。
どのあたりにあるのか?を考えていった時、その物事によってその映像がある場所は違わないだろうか?
その物事を創造した映像や記憶の中の映像を思い出す時、実際にその映像を作ったり見たりした場所を見る気がする。
その時によって、右上だったり、左下だったりまちまちである。
その人の思考の速度やその時の状況によって、目はどんどん動く。
質問から連想される別の思い出や想像に飛んでいってしまうこともある。
「いつおわるのかなぁ~」とか♪
ただ、こんなにも人から使えるかも?と思わせてしまうのは確かである。
目が泳ぐという慣用句があったり、目に関することわざもある。
有名なことわざに「目は口ほどに物をいう」というものがある。
ことわざの意味は「情のこもった目つきは、言葉で説明するのと同等に、相手に気持ちが伝わるものだということ。」だ。
ここで重要なのは、情のこもった目つきって何?って考えてみることである。
軽蔑した目ってどんな感じ?
驚いた時の目ってどんな感じ?
民族の習慣によって、これを表したい時はこんな目の表情だよね?という共通認識があったりして、意識・無意識にかかわらず目の表情を変えるだろう。
むしろ、分って!って思って意識的に変えないだろうか、、、
目を細めるとか、目を見開くとか、、、
目の動きの方向というよりも、表情を言っている。
目を見ることは重要かもしれないが、それは小さいころからの思考のクセかもしれないし、目の動きだけで判断してはいけないだろう。
目を動かさないと何も考えられない、なんて人も私が検証した人の中でいた。
目が据わる(目が動かない)という言葉があるが、そういう人はたちが悪いと考えられている。
特定の場所に動かなかったり、目の動きが少ない人は何かしらの訓練を受けていたり、トラウマを抱えていると考えられているようだ。
小さい頃からの何かのクセだったり、生きていくすべだったかも知れない。
ちなみに、私はセルライトがたまっているためか、動くけど、左上に動かすと目が疲れる。
そして日本は お世辞文化。
人と話しをする時、いい言葉を創造して話すことはないだろうか。
気づかいってこと、大人ですもの。
NLPでいうとリフレーミングだ。
言えることは、人から何か質問を投げかけられると目は動く。
質問を投げかけられた時、思考は瞬間的に動き、同時に表情とかも動くだろう。
私たちは、目の動きの向き、強弱、目も含めた筋肉の動き、表情を観察して見ることは出来る。
そこから、こうなのかな?と推し量る、推測することはできるだろう。
でも、本当の意味でその人を分かったわけではないだろう。
そのくらいの推測、アイパターンを学んでいなくても分かる人は多い。
とある探偵学校の先生より、本当に嘘を見破りたければその人(家族)の寝室にこっそりレコーダーを仕込むべきなようだ。
実生活でこのパターンが役にたつとするならば、家族や夫婦間でのもめごと時が多いようなので。
証拠2つくらいあることが重要なよう。
アイパターンを見ても証拠にはならない。
家族などであれば、特定の条件下での目の動きを何度も試す機会がある。
機会が多ければ多いほど、当てられる可能性は高まるかもしれない。
が、初対面の相手や少しの付き合いの友人やお客様などでは難しいだろう。
良い活用ができるとすれば、推測することから生まれる 気づかいと親切心が人を幸せにする かもしれないということ。
昔々、NHKの白熱教室で「幸福とは?」という幸福に関する研究を行ってきたアメリカの大学博士の講義を見た。
「ここにいること」「人とのかかわり」「親切心」
この3つの要素は人の幸せに繋がることが多いと説いていた。
特に、「ここにいること」がこの放送があった後くらいから少し言葉を変形させて、よくビジネスで使われるようになってきた気がする。
日本のちょっと名のしれた人たちがこのフレーズを使っているのをよく見かける。
この3つの要素は抽象的であり、危うい言葉である。
困ったことは、金儲けができるという触れ込みで営業目的で潜入する人たちがいることだ。
明日は自分のお客様。
親切にしたいと思える相手がいることも重要?
集まる参加者のレベルも重要?
営業マンたちの実験台となる親切心ばかりの場であった!!
合わせないと空気読めない悪い子になっちゃう!
良いことを言ったと思える幸せな時間。
一日十善以上の時間だね。
ただ、人生において日々をもっと後ろめたくない言葉で過ごしたいものである。
参考:日本催眠心理学会 NLPに関する研究調査結果:支持されないデータまたは不可能理論?
民族の習慣によって、これを表したい時はこんな目の表情だよね?という共通認識があったりして、意識・無意識にかかわらず目の表情を変えるだろう。
むしろ、分って!って思って意識的に変えないだろうか、、、
目を細めるとか、目を見開くとか、、、
目の動きの方向というよりも、表情を言っている。
目を見ることは重要かもしれないが、それは小さいころからの思考のクセかもしれないし、目の動きだけで判断してはいけないだろう。
目を動かさないと何も考えられない、なんて人も私が検証した人の中でいた。
目が据わる(目が動かない)という言葉があるが、そういう人はたちが悪いと考えられている。
特定の場所に動かなかったり、目の動きが少ない人は何かしらの訓練を受けていたり、トラウマを抱えていると考えられているようだ。
小さい頃からの何かのクセだったり、生きていくすべだったかも知れない。
ちなみに、私はセルライトがたまっているためか、動くけど、左上に動かすと目が疲れる。
そして日本は お世辞文化。
人と話しをする時、いい言葉を創造して話すことはないだろうか。
気づかいってこと、大人ですもの。
NLPでいうとリフレーミングだ。
言えることは、人から何か質問を投げかけられると目は動く。
質問を投げかけられた時、思考は瞬間的に動き、同時に表情とかも動くだろう。
私たちは、目の動きの向き、強弱、目も含めた筋肉の動き、表情を観察して見ることは出来る。
そこから、こうなのかな?と推し量る、推測することはできるだろう。
でも、本当の意味でその人を分かったわけではないだろう。
そのくらいの推測、アイパターンを学んでいなくても分かる人は多い。
とある探偵学校の先生より、本当に嘘を見破りたければその人(家族)の寝室にこっそりレコーダーを仕込むべきなようだ。
実生活でこのパターンが役にたつとするならば、家族や夫婦間でのもめごと時が多いようなので。
証拠2つくらいあることが重要なよう。
アイパターンを見ても証拠にはならない。
家族などであれば、特定の条件下での目の動きを何度も試す機会がある。
機会が多ければ多いほど、当てられる可能性は高まるかもしれない。
が、初対面の相手や少しの付き合いの友人やお客様などでは難しいだろう。
良い活用ができるとすれば、推測することから生まれる 気づかいと親切心が人を幸せにする かもしれないということ。
昔々、NHKの白熱教室で「幸福とは?」という幸福に関する研究を行ってきたアメリカの大学博士の講義を見た。
「ここにいること」「人とのかかわり」「親切心」
この3つの要素は人の幸せに繋がることが多いと説いていた。
特に、「ここにいること」がこの放送があった後くらいから少し言葉を変形させて、よくビジネスで使われるようになってきた気がする。
日本のちょっと名のしれた人たちがこのフレーズを使っているのをよく見かける。
この3つの要素は抽象的であり、危うい言葉である。
困ったことは、金儲けができるという触れ込みで営業目的で潜入する人たちがいることだ。
明日は自分のお客様。
親切にしたいと思える相手がいることも重要?
集まる参加者のレベルも重要?
営業マンたちの実験台となる親切心ばかりの場であった!!
合わせないと空気読めない悪い子になっちゃう!
良いことを言ったと思える幸せな時間。
一日十善以上の時間だね。
ただ、人生において日々をもっと後ろめたくない言葉で過ごしたいものである。
参考:日本催眠心理学会 NLPに関する研究調査結果:支持されないデータまたは不可能理論?
ラベル:
NLP,
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2016年4月18日月曜日
ビジネス・大人には使えない? NLPのモデリングとは
NLPのモデリングは一般的な心理学用語のモデリングとは別だ。
一般的なモデリングは主に幼少期に自然と行う成長過程の行動であり、多くの場合親がモデリングの対象である。
これを、大人に対しても有効であると 強く主張する ものが、NLPのモデリングである。
~ヴィパッサナー瞑想の長老の言葉~
コピー機を考えてごらん。
同じものをコピーするのに、機械ですら、まったく同じようにはならない。
少し薄かったり、線が入ったり、文字がいびつになったり、縦横がずれたりする。
まして、人には感情がある。
ここはいいから真似するけど、ここは真似しない、というフィルターが多く入る。
そんな状態で、純粋にその人を真似るということが出来るだろうか。
同じ結果が得られるだろうか。
真似をするという考え方が最近非常に多い。
こういう考え方はやめてほしい。
これを聞いたとき、そういう考え方もできるなぁ~と思った。
私たちには確かに感情があり、機械のできる範囲を大幅に超えて真似できない。
真似をしたい相手の感情、なぜその時そうしたのかが分からない。
公表される話しか、ほとんどの人は知らない。
どのように育ち、行動してきたのか。
支援者・友人たち。
ほんとうのことは分からないことだらけである。
よくNLPのモデリングでは、本当に軽い気持ちでその人をイメージしてその人の公のパフォーマンスを真似しようとする。
同じような結果を生みたい。
でも、その人自身にはなれない。
現在、みんなと同じようにしよう、という集団を重視し、個を重視しない考えが多いのだろうか。
そんなことはない。
実際には、ビジネスの世界で成功する方法で必ず必要とされるもののは 自分にしかない光があるか? である。
個が光る人を、みんなが真似しようとする。
親の七光り、親に似ているだけでは昔からだめなのだろう・・・
このことわざ、もしかしたら親の十光りならいいのかもしれない。
自分が十分の光を発さなくてはいけない、七分では認められないのかもしれない。
ビジネスの世界では 誰かと同じことをしたらだめ、 誰も手をつけていないところを見つけなければチャンスがないと言われるようだ。
ただし、実際にはこれと逆で多くの人が真似をしている。
ただの真似っ子から抜け出せず、最初は真似だとばれなければよいが、その真似はいつかばれる。
あ~これは、誰かのパクリだなと分かる人には思われる。
そして、真似だけしかしない人は、その本質を理解できているのか・・・
一部の言葉や行動を真似したとして、その背景にあるこれまでの多くの情報は得られていないだろう。
突っ込まれると困る、うまく答えられないNLP講師は多いそうだ・・・
そこで、うまく切り抜けるためののらりくらり回答論法が役にたつようだ。
パクッてるだけだな~という人を、あなたはどのように思うだろうか。
昔から、学ぶということは真似るということだという人もいる。
実際に、そういう側面もあるだろう。
学ぶという言葉の中に真似るという言葉を内包している気がする。
小さい頃は大人を真似して学んでいくことが自然に起こるし求められるが、大人になると真似ではない七光りではない学び、創造 を求められる。
日本のNLPでモデリングを講義に入れているのは自分が目指したり・尊敬したりする人をイメージしてなりきって演じていることが楽しく、生徒に受けがよいからなのだろうか?
正直私としては、この講義辞めて!って思っていた。
ただ人前でプレゼンテーションを行う人で苦手意識がある人にとっては、内面などから真似るなど出来るはずもないが、見本となる人の真似たいジェスチャーだけ真似ることは必要だったのかもしれない。
モデリングという心理学用語はNLPの創設者たちが作った言葉ではない。
前述通り、NLPのモデリングは一般的な心理学用語のモデリングとは別に考えられているようだ。
一般的なモデリングは主に 幼少期に自然と行う成長過程の行動 であり、多くの場合親がモデリングの対象となる。
これを、大人に対しても有効であると強く主張するものが、NLPのモデリング である。
NLPを創造しようとした人達は、こういうことってあるよね?みたいな感じでNLPのモデリングとして独自にモデル化して発表したようだ。
実際に、大人が自然に行うモデリングとは何があるのだろうか。
English.Wikipediaさんによれば、言葉の指示がなくても行っている真似のことだ。
親と子供が内面も含めて怖いくらい自然と似ることがあるように、大人が自然ではなく意識的に似せようと思って内面まで嘘をつかずに似せられるだろうか。
長老の言葉、決してこの瞑想会の信者というわけではないが、NLPを突き詰めて学ぶと瞑想に関して興味が出る人が多いらしく、瞑想と言えばヴィパッサナー瞑想が人気のようなので、たまたま行った講話でコピー機の話を懸命に話していた。
NLPのモデリングのことを名指ししていたわけではないが、私にはNLPのモデリングのことのようだと思った。
多くのスポーツや習い事には、確かに基本となる型がある。
大人でも先生につき、その基本となる方法を学ぶだろう。
その方法を習得している先生を真似る、手本とするだろう。
あなたが、今度は先生になって生徒を持つこともできるだろう。
同じ先生から教わって、同じ基本の型を覚えたとして、あなたはあなたの先生と同じような成果を出せるだろうか。
私たち大人が、100m走をみんな力いっぱい走って、同じ結果になるだろうか。
どこかに故障があり、走るのを放棄する人も出るはずである。
幼少期はまだ、心や体が柔軟であるため、違いは少ないかもしれない。
それでも、出てくる違いは何なのか。
その違いがあることが、いけないことだったのか。
モデルとしている人は、その中でトップで走れる人ではないのか。
その人を越して、自分がトップで走れる人になるつもりなのか。
トップに入る人に共通していること、それは真似ることが出来ないものがあるということである。
大抵の人は、そこまで考えていないのではないのか。
軽い気持ちで真似をしているのではないのか。
先生と同じことをすることがよいのか。
周りの他の生徒と同じことをすることがよいのか。
個は、そういった方向性からは出てこないかもしれない。
よく聞く一般論だが、自分で考え、自分で見つけていくこと、違いを出すこと。
集団から個に移動した時、何かが動き出す のかもしれない。
一般的なモデリングは主に幼少期に自然と行う成長過程の行動であり、多くの場合親がモデリングの対象である。
これを、大人に対しても有効であると 強く主張する ものが、NLPのモデリングである。
~ヴィパッサナー瞑想の長老の言葉~
コピー機を考えてごらん。
同じものをコピーするのに、機械ですら、まったく同じようにはならない。
少し薄かったり、線が入ったり、文字がいびつになったり、縦横がずれたりする。
まして、人には感情がある。
ここはいいから真似するけど、ここは真似しない、というフィルターが多く入る。
そんな状態で、純粋にその人を真似るということが出来るだろうか。
同じ結果が得られるだろうか。
真似をするという考え方が最近非常に多い。
こういう考え方はやめてほしい。
これを聞いたとき、そういう考え方もできるなぁ~と思った。
私たちには確かに感情があり、機械のできる範囲を大幅に超えて真似できない。
真似をしたい相手の感情、なぜその時そうしたのかが分からない。
公表される話しか、ほとんどの人は知らない。
どのように育ち、行動してきたのか。
支援者・友人たち。
ほんとうのことは分からないことだらけである。
よくNLPのモデリングでは、本当に軽い気持ちでその人をイメージしてその人の公のパフォーマンスを真似しようとする。
同じような結果を生みたい。
でも、その人自身にはなれない。
現在、みんなと同じようにしよう、という集団を重視し、個を重視しない考えが多いのだろうか。
実際には、ビジネスの世界で成功する方法で必ず必要とされるもののは 自分にしかない光があるか? である。
個が光る人を、みんなが真似しようとする。
親の七光り、親に似ているだけでは昔からだめなのだろう・・・
このことわざ、もしかしたら親の十光りならいいのかもしれない。
自分が十分の光を発さなくてはいけない、七分では認められないのかもしれない。
ビジネスの世界では 誰かと同じことをしたらだめ、 誰も手をつけていないところを見つけなければチャンスがないと言われるようだ。
ただし、実際にはこれと逆で多くの人が真似をしている。
ただの真似っ子から抜け出せず、最初は真似だとばれなければよいが、その真似はいつかばれる。
あ~これは、誰かのパクリだなと分かる人には思われる。
そして、真似だけしかしない人は、その本質を理解できているのか・・・
一部の言葉や行動を真似したとして、その背景にあるこれまでの多くの情報は得られていないだろう。
突っ込まれると困る、うまく答えられないNLP講師は多いそうだ・・・
そこで、うまく切り抜けるためののらりくらり回答論法が役にたつようだ。
パクッてるだけだな~という人を、あなたはどのように思うだろうか。
昔から、学ぶということは真似るということだという人もいる。
実際に、そういう側面もあるだろう。
学ぶという言葉の中に真似るという言葉を内包している気がする。
小さい頃は大人を真似して学んでいくことが自然に起こるし求められるが、大人になると真似ではない七光りではない学び、創造 を求められる。
日本のNLPでモデリングを講義に入れているのは自分が目指したり・尊敬したりする人をイメージしてなりきって演じていることが楽しく、生徒に受けがよいからなのだろうか?
正直私としては、この講義辞めて!って思っていた。
ただ人前でプレゼンテーションを行う人で苦手意識がある人にとっては、内面などから真似るなど出来るはずもないが、見本となる人の真似たいジェスチャーだけ真似ることは必要だったのかもしれない。
モデリングという心理学用語はNLPの創設者たちが作った言葉ではない。
前述通り、NLPのモデリングは一般的な心理学用語のモデリングとは別に考えられているようだ。
一般的なモデリングは主に 幼少期に自然と行う成長過程の行動 であり、多くの場合親がモデリングの対象となる。
モデリングは:
- セラピストによる具体的な言葉の指示なしに、クライアントが模倣だけで学習する精神療法のある技法で使用される方法(認知行動療法を参照)
- 人間が他人のモデルとして役立ち、他者の模倣する行動を示す一般的なプロセス[1] [2]このプロセスは、発達心理学における子供に関して最も一般的に議論されている。
これを、大人に対しても有効であると強く主張するものが、NLPのモデリング である。
NLPを創造しようとした人達は、こういうことってあるよね?みたいな感じでNLPのモデリングとして独自にモデル化して発表したようだ。
実際に、大人が自然に行うモデリングとは何があるのだろうか。
English.Wikipediaさんによれば、言葉の指示がなくても行っている真似のことだ。
親と子供が内面も含めて怖いくらい自然と似ることがあるように、大人が自然ではなく意識的に似せようと思って内面まで嘘をつかずに似せられるだろうか。
長老の言葉、決してこの瞑想会の信者というわけではないが、NLPを突き詰めて学ぶと瞑想に関して興味が出る人が多いらしく、瞑想と言えばヴィパッサナー瞑想が人気のようなので、たまたま行った講話でコピー機の話を懸命に話していた。
NLPのモデリングのことを名指ししていたわけではないが、私にはNLPのモデリングのことのようだと思った。
多くのスポーツや習い事には、確かに基本となる型がある。
大人でも先生につき、その基本となる方法を学ぶだろう。
その方法を習得している先生を真似る、手本とするだろう。
あなたが、今度は先生になって生徒を持つこともできるだろう。
同じ先生から教わって、同じ基本の型を覚えたとして、あなたはあなたの先生と同じような成果を出せるだろうか。
私たち大人が、100m走をみんな力いっぱい走って、同じ結果になるだろうか。
どこかに故障があり、走るのを放棄する人も出るはずである。
幼少期はまだ、心や体が柔軟であるため、違いは少ないかもしれない。
それでも、出てくる違いは何なのか。
その違いがあることが、いけないことだったのか。
モデルとしている人は、その中でトップで走れる人ではないのか。
その人を越して、自分がトップで走れる人になるつもりなのか。
トップに入る人に共通していること、それは真似ることが出来ないものがあるということである。
大抵の人は、そこまで考えていないのではないのか。
軽い気持ちで真似をしているのではないのか。
先生と同じことをすることがよいのか。
周りの他の生徒と同じことをすることがよいのか。
個は、そういった方向性からは出てこないかもしれない。
よく聞く一般論だが、自分で考え、自分で見つけていくこと、違いを出すこと。
集団から個に移動した時、何かが動き出す のかもしれない。
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2016年4月3日日曜日
絶望している人間は信じたいものを信じる 映画/ターミネーター4より
ターミネーター4で一番印象に残った言葉である。
西洋文化らしい、聖書やキリスト教的な宗教感を感じる言葉であった。
NLPはアメリカで準宗教としての位置づけがある。
キリスト教にはいろんな考え、宗派がある。
NLPにもある。
キリスト教の普及の原動力となったものは、人の絶望を吸い取ってくれる甘い言葉にあったのかもしれない。
本当に、絶望するような歴史があったのかもしれない。
キリスト教だけではないだろう。
ある海外のNLP講師はこんなようなことを言っていた。
「一歩外に出ると世界では悲しいニュースや出来事が多い、このNLPの教室の場では逆の思い出を持ち帰って欲しい。」
ターミネーター4自体は、あんまり中身がないどんちゃん騒ぎの戦争という感じだったが、この「絶望している人間は信じたいものを信じる」という言葉のみ、記憶に焼きついた映画であった。
NLPの教室から出たら、楽しい映画を見たな~という感覚でいればいいんだね♪
西洋文化らしい、聖書やキリスト教的な宗教感を感じる言葉であった。
NLPはアメリカで準宗教としての位置づけがある。
キリスト教にはいろんな考え、宗派がある。
NLPにもある。
キリスト教の普及の原動力となったものは、人の絶望を吸い取ってくれる甘い言葉にあったのかもしれない。
本当に、絶望するような歴史があったのかもしれない。
キリスト教だけではないだろう。
ある海外のNLP講師はこんなようなことを言っていた。
「一歩外に出ると世界では悲しいニュースや出来事が多い、このNLPの教室の場では逆の思い出を持ち帰って欲しい。」
ターミネーター4自体は、あんまり中身がないどんちゃん騒ぎの戦争という感じだったが、この「絶望している人間は信じたいものを信じる」という言葉のみ、記憶に焼きついた映画であった。
NLPの教室から出たら、楽しい映画を見たな~という感覚でいればいいんだね♪
2016年3月9日水曜日
NLP用語のメタファーとは? NLPは壮大なメタファー(物語)だった!
NLPのセミナーの中で、メタファーを作るという時間がある。
メタファーとは直接訳すと隠喩、暗喩。
「人生はドラマのようだ。」という比喩表現を使わず、「人生はドラマだ。」と表現すること。
NLPのメタファーは神話、童話、寓話、自分の人生の中で起こった目立った出来事などを取り入れた作りこまれた話(ストーリー、物語)のことだ。
ABNLPのタッド・ジェームス氏の原著を読むとメタファーはNLP用語で意味は A story. とのことで、NLPでは人に変化をもたらす(比喩、隠喩や暗喩、催眠言語などを入れ込んだネガティブな感情をポジティブな感情に変える)目的を持って作られる話であった。
おそらく想定として、基本的に生徒のネガティブな経験を聞きだした後、その経験をポジティブな隠喩などを含んだメタファー(物語)で書き換えることが目的だ。
日本の会社では、生徒のネガティブな経験を聞きだした後に利用するというよりも、自己紹介話やその日の講義内容に合わせて何かを暗に伝えたい時に使っている感じだった。
NLPのメタファー(物語)を作ってプレゼンテーションする、という講義で私たちが基本題材として求められた話は、これまで自分の人生の中で起こった目立った出来事であり、思いつく実話がなければなんでもよく、神話や童話や歴史の史実などに自分の解釈を入れた話だった。
つっこんでみると人によっては作り話だったようだ。
NLPの講師が語る自分話は、重要なことを端折った作り話かも?くらいで聞いておいた方がいい、と今となっては思う。
NLPのメタファー(物語)は、ポジティブな言葉や内容が重要だった。
講義ではプレゼンテーションする時に、よりインパクトが出るようにさまざまな課題が出て、それに合わせて何度も手直しを加えていった。
比喩、隠喩や暗喩、催眠言語などを巧みに入れ込み、五感に訴えかける言葉、話し方を入れ込んでいく。
フィードバックも取り入れながら作るのは結構大変だった。
いっそ作り話にしてしまおうか!と思ってもおかしくない。
ネガティブな要素が自然と入ってしまう人は多かった。
日本人は起死回生話、一発逆転話、負けていったもの達の生きざまさえ美談とする話が根付いているからなのだろうか。
プレゼンテーションを練習する為のメタファー(物語)で、ポジティブな言葉や内容だけが求められた理由は以下が考えられる。
人はネガティブな話を聞くと、誘発される過去の経験、イメージを思い出す。
思い出す感情が強ければ強いほど、その経験の中に浸る、つまり留まる時間が長くなることがある。
ということは、こっちがせっかく作ってきたNLPのメタファー(物語)を、その話が出た時点で聞かなくなる可能性が高いということになる。
そんなことは避けたい。
人は強い感情を抱いた時のことをよく覚えている、という考えがあるそうだ。
それを聞いた時どんな感情を抱いたかということは、それを話した人のイメージを作ることがある。
大抵の場合、最初は映画やドラマの役がその役者のイメージになってしまうのと一緒かもしれない。
ポジティブなとても楽しい話を聞かせることで、ポジティブなイメージを持ってもらうことができるかもしれない。
前述の通り、基本的な考え方としては生徒のネガティブな感情を打ち消す為にポジティブな話が要求されるようだ。
話はそれるが、私としては日本で教えられているようなNLPの内容そのものは重要ではなく、プレゼン方法として教えている部分が多く、楽しいプレゼン、楽しい映画を見たな~くらいな感じで帰って貰いたいと思っている気がした。
NLPの講義には、ワークといって班を作ってその中で発表者を褒めたり、励ましたりする時間が多い。
無意識に、無条件にそれができる人はいい。
多くの人は見返りを求めていた。
それだけの投資をしていた。
人の一生は喜怒哀楽。
全てのものは表裏一体。
善があれば悪がある。
ポジティブがあればネガティブがある。
悪は栄える。
悪がなくなれば、また人は別の自分の中の悪を探し出すかもしれない。
海外講師としては、今、世界では不幸なネガティブなことで満ちている為、このNLPのセミナーという空間の中では楽しいポジティブなことで満たされて帰って欲しいようだ。
その場から離れたら楽しい映画を観たな~くらいの感覚が必要だ。
欧米の現状のNLPに対する考えを見ると、NLPは準宗教であるという考え方がある。( en.Wikipedia )
NLPにハマった子供を、宗教にハマった子供と同じように親が裁判を起こして取り戻そうとするほどだそう。
確かにキリスト教の普及方法に似ており、聖書を参考書にしているよう。
メタファー(隠喩、暗喩)は聖書の中でもふんだんに使われている。
NLPのメタファー(物語)の長文を作成してみて思ったことは、メタファー(物語)を数時間の長文にまとめたものがNLPのセミナーそのものであり、NLPのセミナーはNLPというメタファー(物語)をプレゼンテーションする場だったのかもしれないということだ。
NLPとは、数時間ずっと短いメタファー(比喩、隠喩や暗喩、催眠言語などを入れ込んだ作りこまれた物話)を用いて、突っ込まれないよう(NLPの前提やその場を共有する為の規約をふんだんに利用)に作成しつくしたプレゼンテーション方法を教える場でもあったように感じた。
恐らく、欧米では数十年前からNLPは医療的分野などにおいて、科学的根拠がないと示されている。( en.Wikipedia )
きっかけを与えることが出来るくらいで実質的な医療的分野では一部の催眠療法士が利用しているくらいのようだ。
過去、効果を検証するために帰還兵に使われた経緯はあるかもしれないが、今では使われていないだろう。
ただ、一方で企業や政府機関へのリーダーシップトレーニングを行うセミナー運営会社が活用しているようだ。
プレゼンテーション力を磨き、パフォーマンス力が高まり、影響力を高められるのだろう。
アメリカでは パフォーマーとして成功する為の方法 として教えているようだ。
そういうメタファー思考でNLPを捉えるとよいかも?
お見合いを成功させる為に作られたと言われているらしく、ビジネスパーソンは何かを得る為にお客様や国民に好かれるための訓練をしているのだろう。
実際にアメリカでは政治家が学んでいたようだ。
そんな使い方。
確かにプレゼン面白いと投票するかも。
実際に行動もしてくれるとなおよし◎
メタファーとは直接訳すと隠喩、暗喩。
「人生はドラマのようだ。」という比喩表現を使わず、「人生はドラマだ。」と表現すること。
NLPのメタファーは神話、童話、寓話、自分の人生の中で起こった目立った出来事などを取り入れた作りこまれた話(ストーリー、物語)のことだ。
おそらく想定として、基本的に生徒のネガティブな経験を聞きだした後、その経験をポジティブな隠喩などを含んだメタファー(物語)で書き換えることが目的だ。
日本の会社では、生徒のネガティブな経験を聞きだした後に利用するというよりも、自己紹介話やその日の講義内容に合わせて何かを暗に伝えたい時に使っている感じだった。
NLPのメタファー(物語)を作ってプレゼンテーションする、という講義で私たちが基本題材として求められた話は、これまで自分の人生の中で起こった目立った出来事であり、思いつく実話がなければなんでもよく、神話や童話や歴史の史実などに自分の解釈を入れた話だった。
つっこんでみると人によっては作り話だったようだ。
NLPの講師が語る自分話は、重要なことを端折った作り話かも?くらいで聞いておいた方がいい、と今となっては思う。
講義ではプレゼンテーションする時に、よりインパクトが出るようにさまざまな課題が出て、それに合わせて何度も手直しを加えていった。
比喩、隠喩や暗喩、催眠言語などを巧みに入れ込み、五感に訴えかける言葉、話し方を入れ込んでいく。
フィードバックも取り入れながら作るのは結構大変だった。
いっそ作り話にしてしまおうか!と思ってもおかしくない。
ネガティブな要素が自然と入ってしまう人は多かった。
日本人は起死回生話、一発逆転話、負けていったもの達の生きざまさえ美談とする話が根付いているからなのだろうか。
プレゼンテーションを練習する為のメタファー(物語)で、ポジティブな言葉や内容だけが求められた理由は以下が考えられる。
人はネガティブな話を聞くと、誘発される過去の経験、イメージを思い出す。
思い出す感情が強ければ強いほど、その経験の中に浸る、つまり留まる時間が長くなることがある。
ということは、こっちがせっかく作ってきたNLPのメタファー(物語)を、その話が出た時点で聞かなくなる可能性が高いということになる。
そんなことは避けたい。
人は強い感情を抱いた時のことをよく覚えている、という考えがあるそうだ。
それを聞いた時どんな感情を抱いたかということは、それを話した人のイメージを作ることがある。
大抵の場合、最初は映画やドラマの役がその役者のイメージになってしまうのと一緒かもしれない。
ポジティブなとても楽しい話を聞かせることで、ポジティブなイメージを持ってもらうことができるかもしれない。
前述の通り、基本的な考え方としては生徒のネガティブな感情を打ち消す為にポジティブな話が要求されるようだ。
話はそれるが、私としては日本で教えられているようなNLPの内容そのものは重要ではなく、プレゼン方法として教えている部分が多く、楽しいプレゼン、楽しい映画を見たな~くらいな感じで帰って貰いたいと思っている気がした。
NLPの講義には、ワークといって班を作ってその中で発表者を褒めたり、励ましたりする時間が多い。
無意識に、無条件にそれができる人はいい。
多くの人は見返りを求めていた。
それだけの投資をしていた。
人の一生は喜怒哀楽。
全てのものは表裏一体。
善があれば悪がある。
ポジティブがあればネガティブがある。
悪は栄える。
悪がなくなれば、また人は別の自分の中の悪を探し出すかもしれない。
海外講師としては、今、世界では不幸なネガティブなことで満ちている為、このNLPのセミナーという空間の中では楽しいポジティブなことで満たされて帰って欲しいようだ。
その場から離れたら楽しい映画を観たな~くらいの感覚が必要だ。
欧米の現状のNLPに対する考えを見ると、NLPは準宗教であるという考え方がある。( en.Wikipedia )
NLPにハマった子供を、宗教にハマった子供と同じように親が裁判を起こして取り戻そうとするほどだそう。
確かにキリスト教の普及方法に似ており、聖書を参考書にしているよう。
メタファー(隠喩、暗喩)は聖書の中でもふんだんに使われている。
NLPのメタファー(物語)の長文を作成してみて思ったことは、メタファー(物語)を数時間の長文にまとめたものがNLPのセミナーそのものであり、NLPのセミナーはNLPというメタファー(物語)をプレゼンテーションする場だったのかもしれないということだ。
NLPとは、数時間ずっと短いメタファー(比喩、隠喩や暗喩、催眠言語などを入れ込んだ作りこまれた物話)を用いて、突っ込まれないよう(NLPの前提やその場を共有する為の規約をふんだんに利用)に作成しつくしたプレゼンテーション方法を教える場でもあったように感じた。
恐らく、欧米では数十年前からNLPは医療的分野などにおいて、科学的根拠がないと示されている。( en.Wikipedia )
きっかけを与えることが出来るくらいで実質的な医療的分野では一部の催眠療法士が利用しているくらいのようだ。
過去、効果を検証するために帰還兵に使われた経緯はあるかもしれないが、今では使われていないだろう。
ただ、一方で企業や政府機関へのリーダーシップトレーニングを行うセミナー運営会社が活用しているようだ。
プレゼンテーション力を磨き、パフォーマンス力が高まり、影響力を高められるのだろう。
アメリカでは パフォーマーとして成功する為の方法 として教えているようだ。
そういうメタファー思考でNLPを捉えるとよいかも?
お見合いを成功させる為に作られたと言われているらしく、ビジネスパーソンは何かを得る為にお客様や国民に好かれるための訓練をしているのだろう。
実際にアメリカでは政治家が学んでいたようだ。
そんな使い方。
確かにプレゼン面白いと投票するかも。
実際に行動もしてくれるとなおよし◎
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NLP用語,
タッド・ジェームス,
プレゼン
2016年1月8日金曜日
NLPを学んだだけでビジネスで成功できる理由
会社の取締役や役員になると、日本では過去にあった会社で今はもう潰れていたとしても20年間履歴から消せない。
始めにその人の話すごいね~と思って聞いた。
そのうち、いろいろ耳にしネットでも目にするようになる。
それを、確定させるものはなんだろう。
決定的な文書としての証拠だろう。
法務局に行ってみることをオススメする。
私が行ったNLP団体の職員の数人は潜在意識・能力開発に関してその業界では有名?な会社の元職員だった。
株式会社エス・エス・アイ(SSI)。
その人たちが最終的に売っていたものが分かった時、呆れるばかりである。
ある知り合いは、勧誘がしつこく引かない販売方法で、一番安い速聴機のカセットを買うことになってしまったらしい。
マルチ商法的な強引な勧誘で訴えられ、会社を潰しかけたということは本当かもしれない。
時の裁判記録を調べれば分かるだろう。
時に、今では日本でかなり有名な孫正義さん。
ソフトバンクの社長だが、今から10数年前、始めは強引な野外の引き渡し販売を行っていた。
路上でインターネットのモデムを「持って帰って」って渡して契約にする。
ある一定の年齢以上で、都会にいたら見たことある人もいるだろう。
苦情は大量にあり、裁判ざたも多数。
かなり負けまくって赤字だらけだったろう。
この2つの会社には共通点があった。
同じ新宿のビル、新宿住友ビル(三角ビル)に会社のオフィスを構えていた。
同じ低層階らへんに。
時の営業マン達は営業しに行ったのだろう。
会社のメイン支援団体は主要取引先から読み解くことが出来る。
2018年時点で書かれている株式会社ソフトバンクはソフトバンク株式会社のことかな?
そういえば、NLP体験セミナーで代表は孫さんからも応援して貰ってます~というようなことを言っていた。
多くは前の会社の時からのツテだろう。
代表が出演したラジオ放送より、親族の紹介、コネクションで前の会社に入っており、現在の会社も親族の事業と似通っている。
そんなことは、セミナーに来るお客様には言えないのだろう。
言いたいことは、元から耕された土壌があったということだ。
何を植えるかは心がけ次第だったのだ。
なぜ、こんなことをネットに書くのか?
私が、NLPを学びにいく上で参考になったのはこういった目線からくるネットの情報だったからだ。
もちろん、その時にもっと調べてNLPにお金を落としに行かなきゃよかったじゃん!と思われるかもしれないが、これは行った後、それはなぜだったのか?を知るきっかけにして欲しいということで書いている。
実際に、デメリットの情報をいっぱい見てもNLPを学びに行った私である。
ネットで書いてあることが本当のことなのかって、潜入しないと分からないことあるでしょ?
私は、そういう気質が多く、冒険好きだったのだ。
冒険には色んなキャラクターがいないとね。
行った結果、ネットに書かれていることは本当のことだと思えた。
ただ、こういう調査は余裕資金で行うことが重要だ。
投資先のことを調査し、本当に継続的に投資する価値があるのか調べないと、ただの紙切れ(今は紙じゃないけど)になっちゃうね。
なかなか難しいが、見切り、損切りは重要かもしれない。
成功する為に必要なことは何なのか?を考え直すことは必要かもしれない。
NLPは海外での認識がそうであったように、楽しく伝えるパフォーマンス力を上げる方法を学びに行くところ、という認識に今よりもなっていくかもしれない。
始めにその人の話すごいね~と思って聞いた。
そのうち、いろいろ耳にしネットでも目にするようになる。
それを、確定させるものはなんだろう。
決定的な文書としての証拠だろう。
法務局に行ってみることをオススメする。
私が行ったNLP団体の職員の数人は潜在意識・能力開発に関してその業界では有名?な会社の元職員だった。
株式会社エス・エス・アイ(SSI)。
その人たちが最終的に売っていたものが分かった時、呆れるばかりである。
ある知り合いは、勧誘がしつこく引かない販売方法で、一番安い速聴機のカセットを買うことになってしまったらしい。
マルチ商法的な強引な勧誘で訴えられ、会社を潰しかけたということは本当かもしれない。
時の裁判記録を調べれば分かるだろう。
時に、今では日本でかなり有名な孫正義さん。
ソフトバンクの社長だが、今から10数年前、始めは強引な野外の引き渡し販売を行っていた。
路上でインターネットのモデムを「持って帰って」って渡して契約にする。
ある一定の年齢以上で、都会にいたら見たことある人もいるだろう。
苦情は大量にあり、裁判ざたも多数。
かなり負けまくって赤字だらけだったろう。
この2つの会社には共通点があった。
同じ新宿のビル、新宿住友ビル(三角ビル)に会社のオフィスを構えていた。
同じ低層階らへんに。
時の営業マン達は営業しに行ったのだろう。
会社のメイン支援団体は主要取引先から読み解くことが出来る。
2018年時点で書かれている株式会社ソフトバンクはソフトバンク株式会社のことかな?
そういえば、NLP体験セミナーで代表は孫さんからも応援して貰ってます~というようなことを言っていた。
多くは前の会社の時からのツテだろう。
代表が出演したラジオ放送より、親族の紹介、コネクションで前の会社に入っており、現在の会社も親族の事業と似通っている。
そんなことは、セミナーに来るお客様には言えないのだろう。
言いたいことは、元から耕された土壌があったということだ。
何を植えるかは心がけ次第だったのだ。
なぜ、こんなことをネットに書くのか?
私が、NLPを学びにいく上で参考になったのはこういった目線からくるネットの情報だったからだ。
もちろん、その時にもっと調べてNLPにお金を落としに行かなきゃよかったじゃん!と思われるかもしれないが、これは行った後、それはなぜだったのか?を知るきっかけにして欲しいということで書いている。
実際に、デメリットの情報をいっぱい見てもNLPを学びに行った私である。
ネットで書いてあることが本当のことなのかって、潜入しないと分からないことあるでしょ?
私は、そういう気質が多く、冒険好きだったのだ。
冒険には色んなキャラクターがいないとね。
行った結果、ネットに書かれていることは本当のことだと思えた。
ただ、こういう調査は余裕資金で行うことが重要だ。
投資先のことを調査し、本当に継続的に投資する価値があるのか調べないと、ただの紙切れ(今は紙じゃないけど)になっちゃうね。
なかなか難しいが、見切り、損切りは重要かもしれない。
成功する為に必要なことは何なのか?を考え直すことは必要かもしれない。
NLPは海外での認識がそうであったように、楽しく伝えるパフォーマンス力を上げる方法を学びに行くところ、という認識に今よりもなっていくかもしれない。
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なぜ海外講師を呼べるのか? NLPは〇〇を見つける社交場だったのだ
参考になったのは、この動画。
理由は意外と簡単だった。
海外講師を呼べる方法を呼んでいる人に聞いたそうだ。
ただ、誰に聞いたかは明かされなかった。
方法は、出来る通訳を雇うことと、講師をもてなし日本の観光案内をすることらしい。
そして、アプローチの方法があるのだろう。
こちらの会社の売り上げがあがり、抜きんでたのは海外講師を呼べたからであるようだ。
その中でも、とある講師の講義を無料特典としたこと。
これが一番だったよう。
やはり、講師への待遇、おもてなしということなのだろう。
しかし、この動画からいろいろな面で、それはなぜだったのか?ということが分かり、NLPって意味あるのかな?とひしひしと感じた動画だった。
NLPまとめ
理由は意外と簡単だった。
海外講師を呼べる方法を呼んでいる人に聞いたそうだ。
ただ、誰に聞いたかは明かされなかった。
方法は、出来る通訳を雇うことと、講師をもてなし日本の観光案内をすることらしい。
そして、アプローチの方法があるのだろう。
こちらの会社の売り上げがあがり、抜きんでたのは海外講師を呼べたからであるようだ。
その中でも、とある講師の講義を無料特典としたこと。
これが一番だったよう。
やはり、講師への待遇、おもてなしということなのだろう。
しかし、この動画からいろいろな面で、それはなぜだったのか?ということが分かり、NLPって意味あるのかな?とひしひしと感じた動画だった。
NLPまとめ
2016年1月4日月曜日
シンクロニシティという会社 NLPセミナーに行って分ったこと
多くの現在の社長達は戦後2世であることが多い。
親の影を背負いたくない子供達は、親が同じような業種に携わっていたことを隠しているのだろうか。
分ったことは、やっぱりコネと親族は重要だということだ。
親の影を背負いたくない子供達は、親が同じような業種に携わっていたことを隠しているのだろうか。
こんなことを聞いたことがある。
経営コンサルタントである神田昌典さんは親が教育に携わる制服を売るお店を経営しており、教育への貢献のために留学生を多くホームステイさせていたということ。
とあるセミナーで本人が発信した情報である。
親はきっと、英語がその当時から喋れたインテリ?だったのだろうと私は思う。
本人も、学歴からインテリと分かる。
本人も、学歴からインテリと分かる。
少し業種が違うが、教育に携わるという面では2世社長だろう。
親の意思を継いでアジア人への教育を推し進めたいようだ。
このくらいの少しずれた戦後2世がNLPの会社の代表だったと思う。
親族の直接の事業を継いでいないのだろうか。
親族はシンクロニシティという会社を40年以上前から経営していたのだろうか。
同じようななんらかの教育題材を制作・販売する会社だったのだろうか。
このことを多くの人は知るべきである。
法務局へ行けば、誰でも簡単に知れる公開情報である。
そこには、この会社が設立された年度や事業内容などが記載されている。
それを知らない人は、1代で一から成し遂げたと思い込むかもしれない。
そもそも、本人が発信したラジオの放送より、成績を爆発的に上げた会社エスエスアイは親族の紹介で、コネクションで入った親族と繋がりがある会社である。
シンクロニシティとは、ユングが提唱した概念で「意味のある偶然の一致」を指し、日本語では「共時性」などと訳されるようだ。
おそらく設立時から潜在能力開発、心理学の一端に携わる会社であったのだろう。
この社名を選んだ方に、その時どんなシンクロニシティが生まれたのだろうか。
おそらく設立時から潜在能力開発、心理学の一端に携わる会社であったのだろう。
この社名を選んだ方に、その時どんなシンクロニシティが生まれたのだろうか。
分ったことは、やっぱりコネと親族は重要だということだ。
2016年1月1日金曜日
ネコからのお告げ シンクロニシティ in 来間島
みなさん、旅行は好きですか?
日本の離島に、来間島というところがあります。
沖縄の宮古島から来間大橋を渡ってゆく、小さな神秘的?な隠れたパワ―スポット島。
海沿いの道を原付で走っていた。
海岸へ行こう♪
海岸にでる横道に入る。
長間浜の隣くらいだったか・・・
少し林が見えて来た。
道が細くなり下り坂になってきた。
よく見なかったけど、砂の道だった。
まだまだ、走れると思っていた。
原付を降りたくない私は、そのまま突き進んだ。
・・・そして突き落ちた。
ガコっ
ん?砂に埋もれた?
危険を察知した私は、試しにアクセルをかけてみた。
ブルん、ブルん
さらに埋もれた。
ブルん、ブルん
アクセルをかけるとそれはそれはきれいに砂浜の砂が舞う。
原付で砂浜に抜ける細い坂道を下ってしまった。
砂浜にはアダンの木があって、アダンがバックにいらっしゃる。
アクセルかけて進めるわけがなかった。
こういうときって開き直るのだ。
なんとかなる!
日が暮れそうになったら、原付をおいて助けを呼ぶしかない!!
そこは、素晴らしい誰もいない貸切のきれいな砂浜だったのだ。
一体どれだけの時が立ったのだろう。
遠〜くから、4、5人、しかもお兄さんたちが歩いて来るのが見えてきた。
じーっとお兄さんたちを見つめる私。
助けて!!オーマイゴー!
これっ、心の声。
通じた!
助けてオーラ全開だったのだろう。
それともお兄さんたちの見る目がよかったのか。
「大丈夫ですか~?」とお兄さん。
そんなわけない。
原付さんは、押し上げられたのだ。
みなさん、フカフカな砂浜では原付は走れませんでした!
気をつけましょ!!
助かった~と思いながら来間大橋を渡り、宮古島に戻り橋のそばのトイレに立ち寄る。
トイレを出た私を出迎えてくれる小さな珍客がそこにいた。
どうしよう。
降りてくれないにゃい・・・(´・ω・`)
なにか、あるのかにゃ?
そういえば、島の物は持ち帰らない!という話を聞いたな~。
よく見ると原付には、来間島の砂浜の砂がびっちり。
かるくはたく位じゃだめだったかな?
これは、もう一度来間島に戻って、原付さんをきれいにしてから帰らねば!そう思ったら・・・
あれっ、ネコが降りた・・・
不思議だ。
行ってくるね~、ネコにゃん。
ということで、来間大橋を渡り再び来間島へ~。
来間島へ行くと、最初にあるスポットはタコさん。
歩きか原付などでしか行けないような、細い坂道を登っていくと、大きいタコのモニュメントがある。
そこで、私はせっせと砂を落とす。
もうこれでいっかな?
そんな折、一台の車が現れる。
は?こんなところに車で来たの?
ここはタコさんモニュメントがある、高台から宮古島と橋を見に来る場所。
狭い細い坂道の先はモニュメントしかない狭い公園。
車がUターンするような場所はあるかな???
ちょっとふみはずすと崖だよ?
無謀だ!!!
その車にはお兄さんが一人乗っていた。
どうやら、このモニュメントまで辿りつくために、レンタカーにボコっとしたへこみまで作ってしまったようである。
助けて欲しかったらしい。
私は狭い公園の中で車のUターンを補助し、お尻のちょっと痛い車さんを見送った。
「数万請求されちゃうかな?」とお兄さん。
恐らく、よほどのことがない限り・・・
しかし、こんな場所に車はダメだろ!
ほとんど、観光客がいない場所で私がそこに戻る偶然がなかったら、お兄さんは大丈夫だったのだろうか。
なんだか、ごく最近こんなことあったな・・・
見送った後、また来間大橋を渡る。
先ほどと違ってもう日が落ちており、ライトアップされていた。
またトイレに行ってみた。
ネコの姿はどこにもなかった。
助けられて、助けて、 プラスマイナス0の日 と名付けた。
ネコが運んだシンクロニシティ。
意味のある偶然の一致?共時性?
ネコ様からのご指令か?
ちょっと助けて貰ったんだから、同じような人を助けなさいってことなのか?
まるで人生の縮図?
ネコの不思議。
人生は、この日のようにプラスマイナス0になるのかもしれない。
こんなシンクロが起きまくる宮古島周辺は、ほんとうにパワースポットだらけ。
気づかぬところで調整された世界を私たちは生きているのだろう。
このネコとの出会いは、私にとって記憶と記録に残る最初のシンクロニシティとなったのだった。
日本の離島に、来間島というところがあります。
沖縄の宮古島から来間大橋を渡ってゆく、小さな神秘的?な隠れたパワ―スポット島。
海沿いの道を原付で走っていた。
海岸へ行こう♪
海岸にでる横道に入る。
長間浜の隣くらいだったか・・・
少し林が見えて来た。
道が細くなり下り坂になってきた。
よく見なかったけど、砂の道だった。
まだまだ、走れると思っていた。
原付を降りたくない私は、そのまま突き進んだ。
・・・そして突き落ちた。
ガコっ
ん?砂に埋もれた?
危険を察知した私は、試しにアクセルをかけてみた。
ブルん、ブルん
さらに埋もれた。
おしりが埋もれすぎて、バックが出来ない!
坂道だし、さらに食い込んだ。
そして、閃いた!
砂浜の先って、波が寄せてくるところって平らで黒いから、かたそう、Uターン出来そう。
我ながら良案だった。
原付を前に押してみた。
ズボっ
無謀だった。
さらに深みにはいる。
坂道だし、さらに食い込んだ。
そして、閃いた!
砂浜の先って、波が寄せてくるところって平らで黒いから、かたそう、Uターン出来そう。
我ながら良案だった。
原付を前に押してみた。
ズボっ
無謀だった。
さらに深みにはいる。
原付押す、動かない。
私、アクセルかける。
私、アクセルかける。
アクセルをかけるとそれはそれはきれいに砂浜の砂が舞う。
原付で砂浜に抜ける細い坂道を下ってしまった。
砂浜にはアダンの木があって、アダンがバックにいらっしゃる。
アクセルかけて進めるわけがなかった。
こういうときって開き直るのだ。
なんとかなる!
日が暮れそうになったら、原付をおいて助けを呼ぶしかない!!
そこは、素晴らしい誰もいない貸切のきれいな砂浜だったのだ。
ぶわん、ぶわん
まるで、犬がここほれワンワンしているよう。
ボコっと穴をほり進めた。
1メートルも進んでない、しかも進んだ方向は海。
これぞ、八方プラス下方塞がり。
意味わかるかな?
原付は足をおくところまで、20センチくらい砂に埋もれている。
どうしよう、グスン、、、
原付に乗って黄昏る私。
なぜその時の埋もれた原付ではなく海を撮ってしまったのか。
悔やまれる。。。
まるで、犬がここほれワンワンしているよう。
ボコっと穴をほり進めた。
1メートルも進んでない、しかも進んだ方向は海。
これぞ、八方プラス下方塞がり。
意味わかるかな?
原付は足をおくところまで、20センチくらい砂に埋もれている。
どうしよう、グスン、、、
原付に乗って黄昏る私。
なぜその時の埋もれた原付ではなく海を撮ってしまったのか。
悔やまれる。。。
一体どれだけの時が立ったのだろう。
遠〜くから、4、5人、しかもお兄さんたちが歩いて来るのが見えてきた。
じーっとお兄さんたちを見つめる私。
助けて!!オーマイゴー!
これっ、心の声。
通じた!
助けてオーラ全開だったのだろう。
それともお兄さんたちの見る目がよかったのか。
「大丈夫ですか~?」とお兄さん。
そんなわけない。
原付さんは、押し上げられたのだ。
みなさん、フカフカな砂浜では原付は走れませんでした!
気をつけましょ!!
助かった~と思いながら来間大橋を渡り、宮古島に戻り橋のそばのトイレに立ち寄る。
トイレを出た私を出迎えてくれる小さな珍客がそこにいた。
原付をスリスリ♪
かわいいにゃ~。
ずっとスリスリしてる。
デジカメで写真を撮り始めてもスリスリ。
原付に乗って黄昏るネコ。
降りてくれないにゃい・・・(´・ω・`)
なにか、あるのかにゃ?
そういえば、島の物は持ち帰らない!という話を聞いたな~。
よく見ると原付には、来間島の砂浜の砂がびっちり。
かるくはたく位じゃだめだったかな?
これは、もう一度来間島に戻って、原付さんをきれいにしてから帰らねば!そう思ったら・・・
あれっ、ネコが降りた・・・
不思議だ。
行ってくるね~、ネコにゃん。
ということで、来間大橋を渡り再び来間島へ~。
来間島へ行くと、最初にあるスポットはタコさん。
歩きか原付などでしか行けないような、細い坂道を登っていくと、大きいタコのモニュメントがある。
そこで、私はせっせと砂を落とす。
もうこれでいっかな?
そんな折、一台の車が現れる。
は?こんなところに車で来たの?
ここはタコさんモニュメントがある、高台から宮古島と橋を見に来る場所。
狭い細い坂道の先はモニュメントしかない狭い公園。
車がUターンするような場所はあるかな???
ちょっとふみはずすと崖だよ?
無謀だ!!!
その車にはお兄さんが一人乗っていた。
どうやら、このモニュメントまで辿りつくために、レンタカーにボコっとしたへこみまで作ってしまったようである。
助けて欲しかったらしい。
私は狭い公園の中で車のUターンを補助し、お尻のちょっと痛い車さんを見送った。
「数万請求されちゃうかな?」とお兄さん。
恐らく、よほどのことがない限り・・・
しかし、こんな場所に車はダメだろ!
ほとんど、観光客がいない場所で私がそこに戻る偶然がなかったら、お兄さんは大丈夫だったのだろうか。
なんだか、ごく最近こんなことあったな・・・
見送った後、また来間大橋を渡る。
先ほどと違ってもう日が落ちており、ライトアップされていた。
またトイレに行ってみた。
ネコの姿はどこにもなかった。
助けられて、助けて、 プラスマイナス0の日 と名付けた。
ネコが運んだシンクロニシティ。
意味のある偶然の一致?共時性?
ネコ様からのご指令か?
まるで人生の縮図?
ネコの不思議。
人生は、この日のようにプラスマイナス0になるのかもしれない。
こんなシンクロが起きまくる宮古島周辺は、ほんとうにパワースポットだらけ。
気づかぬところで調整された世界を私たちは生きているのだろう。
このネコとの出会いは、私にとって記憶と記録に残る最初のシンクロニシティとなったのだった。
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