私はとあるトレーニング中、アイパターンについて検証をすることになったが、実際の結果をかみしても、使えない要因は多大にあり、嘘を見破るにはこれじゃだめ。
人生の質を左右する最強ツールは笑顔かもしれない。
人生で成功している方の多くは笑顔でいる時間が長いという。
海外では笑顔でいることを幼少期より学ぶ?らしい。
笑顔は学ぶものだったのだ。
普段から笑い顔の人って、いつも目が細くなっているから目の動きなんて見せない!!
なんて完璧な戦略なんだろう!!!
「これからアイパターンの検証をします。」
という場であれば、被験者は惜しみなく協力してくれる。
可愛くスタンバってくれた。
実験であっても、質問を投げかけると目は動いてしまう。
が、しかし。。。
あまり語られないリード表象システム(優位表象システムとは別)と言われるものがある。
何かを思う時、内部情報にアクセスする時、その人が一番最初に使うシステム、仕組み、決まった動きのことだと定義している。
アイパターンからリードする目の動きを見つけ出すことができるとしている。
何かを思う時、リードする目の動きがあり、通常のアイパターンで語られる目の動きはその後にやってくる?
そこから言えることは、だいたいの質問で2回は目が動くかもしれないということ。
そもそもリード表象しかないのかも・・・
また、English.Wikipediaさんによれば、眼球運動/視線解析は 瞬間的な思考のVA(Kは入らない)は支持される部分もあるが、一般理論の根幹部分はあてはまらない と1980年代に示されたようだ。
そういえば、検証でもKはその通りに動かない人が多かった。
私自身の検証結果としては以下があげられる。
ゆっくり言ってゆっくり待たないと目がパターン通りに反応しない人。
特定の場所に反応しない人。
わざわざ目を動かしてくれちゃってると思われる人。
どんなにがんばっても逆に目が動く人が10人中2人、しかも、全部が逆に動くのではなくKのみ逆だった。
リード表象って思考のクセってこと?
基本的には無意識に動く、クセのような動きの為変わらない。
しかし、クセは無意識から意識にあがり、変えようと意識し続けると変わることもある。
私のリード表象はVのよく嘘をつく時に動くとされる右上である。
そもそも、ガチャ目で利き目が右。
見る人が見れば真顔でも黒目が少し右にずれている。
何時も、街を歩く時には足元でなく看板や空などの上を見ていると言われる。
日常の生活習慣により、私のリード表象は決まってしまったのではないかと思われる。
ただ、目が泳いだ後にゆっくりとパターン通りに動かした被験者はいた。
そもそも、嘘をつく右上っていっても、質問されたことが経験上なければ、右上に動くことが一番多いと思われ、嘘というか身に覚えがない!という潔白を証明することになるかもしれない・・・
親切に注意書きを用意してくれる団体であれば、一般的な右利きの人の場合のパターンであると書いてある。
こう考えていくと何パターン、何通りもありそうだ。
質問によるかもしれないし、その他要因もいっぱいあるかも?
日本人って、幼少期に強制された右利きが多い?
私、先天的には左利きかも。
また、民族の習性によって思考する場所が違ったりすることもあるかもしれない。
サブモダリティを考えてみることは興味深い。
過去に作り出した映像を思い出そうとするとき、どこにその映像はあるのか?
通常の一般理論であれば、作った時は右上でも思い出す時は左上だ。
しかし私の場合、いずれの場合でも右上にあることが多いのだ。
どのあたりにあるのか?を考えていった時、その物事によってその映像がある場所は違わないだろうか?
その物事を創造した映像や記憶の中の映像を思い出す時、実際にその映像を作ったり見たりした場所を見る気がする。
その時によって、右上だったり、左下だったりまちまちである。
その人の思考の速度やその時の状況によって、目はどんどん動く。
質問から連想される別の思い出や想像に飛んでいってしまうこともある。
「いつおわるのかなぁ~」とか♪
ただ、こんなにも人から使えるかも?と思わせてしまうのは確かである。
目が泳ぐという慣用句があったり、目に関することわざもある。
有名なことわざに「目は口ほどに物をいう」というものがある。
ことわざの意味は「情のこもった目つきは、言葉で説明するのと同等に、相手に気持ちが伝わるものだということ。」だ。
ここで重要なのは、情のこもった目つきって何?って考えてみることである。
軽蔑した目ってどんな感じ?
驚いた時の目ってどんな感じ?
民族の習慣によって、これを表したい時はこんな目の表情だよね?という共通認識があったりして、意識・無意識にかかわらず目の表情を変えるだろう。
むしろ、分って!って思って意識的に変えないだろうか、、、
目を細めるとか、目を見開くとか、、、
目の動きの方向というよりも、表情を言っている。
目を見ることは重要かもしれないが、それは小さいころからの思考のクセかもしれないし、目の動きだけで判断してはいけないだろう。
目を動かさないと何も考えられない、なんて人も私が検証した人の中でいた。
目が据わる(目が動かない)という言葉があるが、そういう人はたちが悪いと考えられている。
特定の場所に動かなかったり、目の動きが少ない人は何かしらの訓練を受けていたり、トラウマを抱えていると考えられているようだ。
小さい頃からの何かのクセだったり、生きていくすべだったかも知れない。
ちなみに、私はセルライトがたまっているためか、動くけど、左上に動かすと目が疲れる。
そして日本は お世辞文化。
人と話しをする時、いい言葉を創造して話すことはないだろうか。
気づかいってこと、大人ですもの。
NLPでいうとリフレーミングだ。
言えることは、人から何か質問を投げかけられると目は動く。
質問を投げかけられた時、思考は瞬間的に動き、同時に表情とかも動くだろう。
私たちは、目の動きの向き、強弱、目も含めた筋肉の動き、表情を観察して見ることは出来る。
そこから、こうなのかな?と推し量る、推測することはできるだろう。
でも、本当の意味でその人を分かったわけではないだろう。
そのくらいの推測、アイパターンを学んでいなくても分かる人は多い。
とある探偵学校の先生より、本当に嘘を見破りたければその人(家族)の寝室にこっそりレコーダーを仕込むべきなようだ。
実生活でこのパターンが役にたつとするならば、家族や夫婦間でのもめごと時が多いようなので。
証拠2つくらいあることが重要なよう。
アイパターンを見ても証拠にはならない。
家族などであれば、特定の条件下での目の動きを何度も試す機会がある。
機会が多ければ多いほど、当てられる可能性は高まるかもしれない。
が、初対面の相手や少しの付き合いの友人やお客様などでは難しいだろう。
良い活用ができるとすれば、推測することから生まれる 気づかいと親切心が人を幸せにする かもしれないということ。
昔々、NHKの白熱教室で「幸福とは?」という幸福に関する研究を行ってきたアメリカの大学博士の講義を見た。
「ここにいること」「人とのかかわり」「親切心」
この3つの要素は人の幸せに繋がることが多いと説いていた。
特に、「ここにいること」がこの放送があった後くらいから少し言葉を変形させて、よくビジネスで使われるようになってきた気がする。
日本のちょっと名のしれた人たちがこのフレーズを使っているのをよく見かける。
この3つの要素は抽象的であり、危うい言葉である。
困ったことは、金儲けができるという触れ込みで営業目的で潜入する人たちがいることだ。
明日は自分のお客様。
親切にしたいと思える相手がいることも重要?
集まる参加者のレベルも重要?
営業マンたちの実験台となる親切心ばかりの場であった!!
合わせないと空気読めない悪い子になっちゃう!
良いことを言ったと思える幸せな時間。
一日十善以上の時間だね。
ただ、人生において日々をもっと後ろめたくない言葉で過ごしたいものである。
参考:日本催眠心理学会 NLPに関する研究調査結果:支持されないデータまたは不可能理論?
民族の習慣によって、これを表したい時はこんな目の表情だよね?という共通認識があったりして、意識・無意識にかかわらず目の表情を変えるだろう。
むしろ、分って!って思って意識的に変えないだろうか、、、
目を細めるとか、目を見開くとか、、、
目の動きの方向というよりも、表情を言っている。
目を見ることは重要かもしれないが、それは小さいころからの思考のクセかもしれないし、目の動きだけで判断してはいけないだろう。
目を動かさないと何も考えられない、なんて人も私が検証した人の中でいた。
目が据わる(目が動かない)という言葉があるが、そういう人はたちが悪いと考えられている。
特定の場所に動かなかったり、目の動きが少ない人は何かしらの訓練を受けていたり、トラウマを抱えていると考えられているようだ。
小さい頃からの何かのクセだったり、生きていくすべだったかも知れない。
ちなみに、私はセルライトがたまっているためか、動くけど、左上に動かすと目が疲れる。
そして日本は お世辞文化。
人と話しをする時、いい言葉を創造して話すことはないだろうか。
気づかいってこと、大人ですもの。
NLPでいうとリフレーミングだ。
言えることは、人から何か質問を投げかけられると目は動く。
質問を投げかけられた時、思考は瞬間的に動き、同時に表情とかも動くだろう。
私たちは、目の動きの向き、強弱、目も含めた筋肉の動き、表情を観察して見ることは出来る。
そこから、こうなのかな?と推し量る、推測することはできるだろう。
でも、本当の意味でその人を分かったわけではないだろう。
そのくらいの推測、アイパターンを学んでいなくても分かる人は多い。
とある探偵学校の先生より、本当に嘘を見破りたければその人(家族)の寝室にこっそりレコーダーを仕込むべきなようだ。
実生活でこのパターンが役にたつとするならば、家族や夫婦間でのもめごと時が多いようなので。
証拠2つくらいあることが重要なよう。
アイパターンを見ても証拠にはならない。
家族などであれば、特定の条件下での目の動きを何度も試す機会がある。
機会が多ければ多いほど、当てられる可能性は高まるかもしれない。
が、初対面の相手や少しの付き合いの友人やお客様などでは難しいだろう。
良い活用ができるとすれば、推測することから生まれる 気づかいと親切心が人を幸せにする かもしれないということ。
昔々、NHKの白熱教室で「幸福とは?」という幸福に関する研究を行ってきたアメリカの大学博士の講義を見た。
「ここにいること」「人とのかかわり」「親切心」
この3つの要素は人の幸せに繋がることが多いと説いていた。
特に、「ここにいること」がこの放送があった後くらいから少し言葉を変形させて、よくビジネスで使われるようになってきた気がする。
日本のちょっと名のしれた人たちがこのフレーズを使っているのをよく見かける。
この3つの要素は抽象的であり、危うい言葉である。
困ったことは、金儲けができるという触れ込みで営業目的で潜入する人たちがいることだ。
明日は自分のお客様。
親切にしたいと思える相手がいることも重要?
集まる参加者のレベルも重要?
営業マンたちの実験台となる親切心ばかりの場であった!!
合わせないと空気読めない悪い子になっちゃう!
良いことを言ったと思える幸せな時間。
一日十善以上の時間だね。
ただ、人生において日々をもっと後ろめたくない言葉で過ごしたいものである。
参考:日本催眠心理学会 NLPに関する研究調査結果:支持されないデータまたは不可能理論?