2016年4月18日月曜日

ビジネス・大人には使えない? NLPのモデリングとは

NLPのモデリングは一般的な心理学用語のモデリングとは別だ。
一般的なモデリングは主に幼少期に自然と行う成長過程の行動であり、多くの場合親がモデリングの対象である。
これを、大人に対しても有効であると 強く主張する ものが、NLPのモデリングである。

 ~ヴィパッサナー瞑想の長老の言葉~
 コピー機を考えてごらん。
 同じものをコピーするのに、機械ですら、まったく同じようにはならない。
 少し薄かったり、線が入ったり、文字がいびつになったり、縦横がずれたりする。
 まして、人には感情がある。
 ここはいいから真似するけど、ここは真似しない、というフィルターが多く入る。
 そんな状態で、純粋にその人を真似るということが出来るだろうか。
 同じ結果が得られるだろうか。
 真似をするという考え方が最近非常に多い。
 こういう考え方はやめてほしい。

これを聞いたとき、そういう考え方もできるなぁ~と思った。
私たちには確かに感情があり、機械のできる範囲を大幅に超えて真似できない。


真似をしたい相手の感情、なぜその時そうしたのかが分からない。
公表される話しか、ほとんどの人は知らない。
どのように育ち、行動してきたのか。
支援者・友人たち。
ほんとうのことは分からないことだらけである。

よくNLPのモデリングでは、本当に軽い気持ちでその人をイメージしてその人の公のパフォーマンスを真似しようとする。

同じような結果を生みたい。
でも、その人自身にはなれない。
現在、みんなと同じようにしよう、という集団を重視し、個を重視しない考えが多いのだろうか。

そんなことはない。

実際には、ビジネスの世界で成功する方法で必ず必要とされるもののは 自分にしかない光があるか? である。


個が光る人を、みんなが真似しようとする。
親の七光り、親に似ているだけでは昔からだめなのだろう・・・
このことわざ、もしかしたら親の十光りならいいのかもしれない。
自分が十分の光を発さなくてはいけない、七分では認められないのかもしれない。

ビジネスの世界では 誰かと同じことをしたらだめ、 誰も手をつけていないところを見つけなければチャンスがないと言われるようだ。

ただし、実際にはこれと逆で多くの人が真似をしている。
ただの真似っ子から抜け出せず、最初は真似だとばれなければよいが、その真似はいつかばれる。

あ~これは、誰かのパクリだなと分かる人には思われる。
そして、真似だけしかしない人は、その本質を理解できているのか・・・
一部の言葉や行動を真似したとして、その背景にあるこれまでの多くの情報は得られていないだろう。
突っ込まれると困る、うまく答えられないNLP講師は多いそうだ・・・
そこで、うまく切り抜けるためののらりくらり回答論法が役にたつようだ。

パクッてるだけだな~という人を、あなたはどのように思うだろうか。

昔から、学ぶということは真似るということだという人もいる。
実際に、そういう側面もあるだろう。
学ぶという言葉の中に真似るという言葉を内包している気がする。
小さい頃は大人を真似して学んでいくことが自然に起こるし求められるが、大人になると真似ではない七光りではない学び、創造 を求められる。

日本のNLPでモデリングを講義に入れているのは自分が目指したり・尊敬したりする人をイメージしてなりきって演じていることが楽しく、生徒に受けがよいからなのだろうか?
正直私としては、この講義辞めて!って思っていた。
ただ人前でプレゼンテーションを行う人で苦手意識がある人にとっては、内面などから真似るなど出来るはずもないが、見本となる人の真似たいジェスチャーだけ真似ることは必要だったのかもしれない。

モデリングという心理学用語はNLPの創設者たちが作った言葉ではない。
前述通り、NLPのモデリングは一般的な心理学用語のモデリングとは別に考えられているようだ。
一般的なモデリングは主に 幼少期に自然と行う成長過程の行動 であり、多くの場合親がモデリングの対象となる。

モデリングは:
  1. セラピストによる具体的な言葉の指示なしに、クライアントが模倣だけで学習する精神療法のある技法で使用される方法(認知行動療法を参照)
  2. 人間が他人のモデルとして役立ち、他者の模倣する行動を示す一般的なプロセス[1] [2]このプロセスは、発達心理学における子供に関して最も一般的に議論されている。
(en.wikipedia)

これを、大人に対しても有効であると強く主張するものが、NLPのモデリング である。
NLPを創造しようとした人達は、こういうことってあるよね?みたいな感じでNLPのモデリングとして独自にモデル化して発表したようだ。
実際に、大人が自然に行うモデリングとは何があるのだろうか。
English.Wikipediaさんによれば、言葉の指示がなくても行っている真似のことだ。

親と子供が内面も含めて怖いくらい自然と似ることがあるように、大人が自然ではなく意識的に似せようと思って内面まで嘘をつかずに似せられるだろうか。

長老の言葉、決してこの瞑想会の信者というわけではないが、NLPを突き詰めて学ぶと瞑想に関して興味が出る人が多いらしく、瞑想と言えばヴィパッサナー瞑想が人気のようなので、たまたま行った講話でコピー機の話を懸命に話していた。
NLPのモデリングのことを名指ししていたわけではないが、私にはNLPのモデリングのことのようだと思った。

多くのスポーツや習い事には、確かに基本となる型がある。
大人でも先生につき、その基本となる方法を学ぶだろう。
その方法を習得している先生を真似る、手本とするだろう。
あなたが、今度は先生になって生徒を持つこともできるだろう。
同じ先生から教わって、同じ基本の型を覚えたとして、あなたはあなたの先生と同じような成果を出せるだろうか。
私たち大人が、100m走をみんな力いっぱい走って、同じ結果になるだろうか。
どこかに故障があり、走るのを放棄する人も出るはずである。

幼少期はまだ、心や体が柔軟であるため、違いは少ないかもしれない。
それでも、出てくる違いは何なのか。
その違いがあることが、いけないことだったのか。
モデルとしている人は、その中でトップで走れる人ではないのか。
その人を越して、自分がトップで走れる人になるつもりなのか。

トップに入る人に共通していること、それは真似ることが出来ないものがあるということである。
大抵の人は、そこまで考えていないのではないのか。
軽い気持ちで真似をしているのではないのか。
先生と同じことをすることがよいのか。
周りの他の生徒と同じことをすることがよいのか。

個は、そういった方向性からは出てこないかもしれない。
よく聞く一般論だが、自分で考え、自分で見つけていくこと、違いを出すこと。

集団から個に移動した時、何かが動き出す のかもしれない。



2016年4月3日日曜日

絶望している人間は信じたいものを信じる 映画/ターミネーター4より

ターミネーター4で一番印象に残った言葉である。
西洋文化らしい、聖書やキリスト教的な宗教感を感じる言葉であった。
NLPはアメリカで準宗教としての位置づけがある。
キリスト教にはいろんな考え、宗派がある。
NLPにもある。

キリスト教の普及の原動力となったものは、人の絶望を吸い取ってくれる甘い言葉にあったのかもしれない。
本当に、絶望するような歴史があったのかもしれない。
キリスト教だけではないだろう。

ある海外のNLP講師はこんなようなことを言っていた。
「一歩外に出ると世界では悲しいニュースや出来事が多い、このNLPの教室の場では逆の思い出を持ち帰って欲しい。」

ターミネーター4自体は、あんまり中身がないどんちゃん騒ぎの戦争という感じだったが、この「絶望している人間は信じたいものを信じる」という言葉のみ、記憶に焼きついた映画であった。

NLPの教室から出たら、楽しい映画を見たな~という感覚でいればいいんだね♪


2016年3月9日水曜日

NLP用語のメタファーとは? NLPは壮大なメタファー(物語)だった!

NLPのセミナーの中で、メタファーを作るという時間がある。
メタファーとは直接訳すと隠喩、暗喩。
「人生はドラマのようだ。」という比喩表現を使わず、「人生はドラマだ。」と表現すること。
NLPのメタファーは神話、童話、寓話、自分の人生の中で起こった目立った出来事などを取り入れた作りこまれた話(ストーリー、物語)のことだ。

ABNLPのタッド・ジェームス氏の原著を読むとメタファーはNLP用語で意味は A story. とのことで、NLPでは人に変化をもたらす(比喩、隠喩や暗喩、催眠言語などを入れ込んだネガティブな感情をポジティブな感情に変える)目的を持って作られる話であった。
おそらく想定として、基本的に生徒のネガティブな経験を聞きだした後、その経験をポジティブな隠喩などを含んだメタファー(物語)で書き換えることが目的だ。

日本の会社では、生徒のネガティブな経験を聞きだした後に利用するというよりも、自己紹介話やその日の講義内容に合わせて何かを暗に伝えたい時に使っている感じだった。

NLPのメタファー(物語)を作ってプレゼンテーションする、という講義で私たちが基本題材として求められた話は、これまで自分の人生の中で起こった目立った出来事であり、思いつく実話がなければなんでもよく、神話や童話や歴史の史実などに自分の解釈を入れた話だった。
つっこんでみると人によっては作り話だったようだ。
NLPの講師が語る自分話は、重要なことを端折った作り話かも?くらいで聞いておいた方がいい、と今となっては思う。

英語

NLPのメタファー(物語)は、ポジティブな言葉や内容が重要だった。
講義ではプレゼンテーションする時に、よりインパクトが出るようにさまざまな課題が出て、それに合わせて何度も手直しを加えていった。
比喩、隠喩や暗喩、催眠言語などを巧みに入れ込み、五感に訴えかける言葉、話し方を入れ込んでいく。
フィードバックも取り入れながら作るのは結構大変だった。
いっそ作り話にしてしまおうか!と思ってもおかしくない。
ネガティブな要素が自然と入ってしまう人は多かった。
日本人は起死回生話、一発逆転話、負けていったもの達の生きざまさえ美談とする話が根付いているからなのだろうか。

プレゼンテーションを練習する為のメタファー(物語)で、ポジティブな言葉や内容だけが求められた理由は以下が考えられる。
人はネガティブな話を聞くと、誘発される過去の経験、イメージを思い出す。
思い出す感情が強ければ強いほど、その経験の中に浸る、つまり留まる時間が長くなることがある。
ということは、こっちがせっかく作ってきたNLPのメタファー(物語)を、その話が出た時点で聞かなくなる可能性が高いということになる。
そんなことは避けたい。
人は強い感情を抱いた時のことをよく覚えている、という考えがあるそうだ。
それを聞いた時どんな感情を抱いたかということは、それを話した人のイメージを作ることがある。
大抵の場合、最初は映画やドラマの役がその役者のイメージになってしまうのと一緒かもしれない。
ポジティブなとても楽しい話を聞かせることで、ポジティブなイメージを持ってもらうことができるかもしれない。

前述の通り、基本的な考え方としては生徒のネガティブな感情を打ち消す為にポジティブな話が要求されるようだ。

話はそれるが、私としては日本で教えられているようなNLPの内容そのものは重要ではなく、プレゼン方法として教えている部分が多く、楽しいプレゼン、楽しい映画を見たな~くらいな感じで帰って貰いたいと思っている気がした。

NLPの講義には、ワークといって班を作ってその中で発表者を褒めたり、励ましたりする時間が多い。
無意識に、無条件にそれができる人はいい。
多くの人は見返りを求めていた。
それだけの投資をしていた。
人の一生は喜怒哀楽。
全てのものは表裏一体。
善があれば悪がある。
ポジティブがあればネガティブがある。
悪は栄える。
悪がなくなれば、また人は別の自分の中の悪を探し出すかもしれない。

海外講師としては、今、世界では不幸なネガティブなことで満ちている為、このNLPのセミナーという空間の中では楽しいポジティブなことで満たされて帰って欲しいようだ。
その場から離れたら楽しい映画を観たな~くらいの感覚が必要だ。

欧米の現状のNLPに対する考えを見ると、NLPは準宗教であるという考え方がある。( en.Wikipedia )

NLPにハマった子供を、宗教にハマった子供と同じように親が裁判を起こして取り戻そうとするほどだそう。
確かにキリスト教の普及方法に似ており、聖書を参考書にしているよう。
メタファー(隠喩、暗喩)は聖書の中でもふんだんに使われている。

NLPのメタファー(物語)の長文を作成してみて思ったことは、メタファー(物語)を数時間の長文にまとめたものがNLPのセミナーそのものであり、NLPのセミナーはNLPというメタファー(物語)をプレゼンテーションする場だったのかもしれないということだ。

NLPとは、数時間ずっと短いメタファー(比喩、隠喩や暗喩、催眠言語などを入れ込んだ作りこまれた物話)を用いて、突っ込まれないよう(NLPの前提やその場を共有する為の規約をふんだんに利用)に作成しつくしたプレゼンテーション方法を教える場でもあったように感じた。

恐らく、欧米では数十年前からNLPは医療的分野などにおいて、科学的根拠がないと示されている。( en.Wikipedia )
きっかけを与えることが出来るくらいで実質的な医療的分野では一部の催眠療法士が利用しているくらいのようだ。
過去、効果を検証するために帰還兵に使われた経緯はあるかもしれないが、今では使われていないだろう。

ただ、一方で企業や政府機関へのリーダーシップトレーニングを行うセミナー運営会社が活用しているようだ。
プレゼンテーション力を磨き、パフォーマンス力が高まり、影響力を高められるのだろう。
アメリカでは パフォーマーとして成功する為の方法 として教えているようだ。
そういうメタファー思考でNLPを捉えるとよいかも?

お見合いを成功させる為に作られたと言われているらしく、ビジネスパーソンは何かを得る為にお客様や国民に好かれるための訓練をしているのだろう。


実際にアメリカでは政治家が学んでいたようだ。

そんな使い方。

確かにプレゼン面白いと投票するかも。

実際に行動もしてくれるとなおよし◎

2016年1月8日金曜日

NLPを学んだだけでビジネスで成功できる理由

会社の取締役や役員になると、日本では過去にあった会社で今はもう潰れていたとしても20年間履歴から消せない。

始めにその人の話すごいね~と思って聞いた。
そのうち、いろいろ耳にしネットでも目にするようになる。
それを、確定させるものはなんだろう。
決定的な文書としての証拠だろう。
法務局に行ってみることをオススメする。

私が行ったNLP団体の職員の数人は潜在意識・能力開発に関してその業界では有名?な会社の元職員だった。
株式会社エス・エス・アイ(SSI)。
その人たちが最終的に売っていたものが分かった時、呆れるばかりである。
ある知り合いは、勧誘がしつこく引かない販売方法で、一番安い速聴機のカセットを買うことになってしまったらしい。
マルチ商法的な強引な勧誘で訴えられ、会社を潰しかけたということは本当かもしれない。
時の裁判記録を調べれば分かるだろう。

時に、今では日本でかなり有名な孫正義さん。
ソフトバンクの社長だが、今から10数年前、始めは強引な野外の引き渡し販売を行っていた。
路上でインターネットのモデムを「持って帰って」って渡して契約にする。
ある一定の年齢以上で、都会にいたら見たことある人もいるだろう。
苦情は大量にあり、裁判ざたも多数。
かなり負けまくって赤字だらけだったろう。

この2つの会社には共通点があった。
同じ新宿のビル、新宿住友ビル(三角ビル)に会社のオフィスを構えていた。
同じ低層階らへんに。

時の営業マン達は営業しに行ったのだろう。
会社のメイン支援団体は主要取引先から読み解くことが出来る。
2018年時点で書かれている株式会社ソフトバンクはソフトバンク株式会社のことかな?
そういえば、NLP体験セミナーで代表は孫さんからも応援して貰ってます~というようなことを言っていた。

多くは前の会社の時からのツテだろう。
代表が出演したラジオ放送より、親族の紹介、コネクションで前の会社に入っており、現在の会社も親族の事業と似通っている。
そんなことは、セミナーに来るお客様には言えないのだろう。
言いたいことは、元から耕された土壌があったということだ。
何を植えるかは心がけ次第だったのだ。

なぜ、こんなことをネットに書くのか?
私が、NLPを学びにいく上で参考になったのはこういった目線からくるネットの情報だったからだ。
もちろん、その時にもっと調べてNLPにお金を落としに行かなきゃよかったじゃん!と思われるかもしれないが、これは行った後、それはなぜだったのか?を知るきっかけにして欲しいということで書いている。
実際に、デメリットの情報をいっぱい見てもNLPを学びに行った私である。

ネットで書いてあることが本当のことなのかって、潜入しないと分からないことあるでしょ?
私は、そういう気質が多く、冒険好きだったのだ。
冒険には色んなキャラクターがいないとね。
行った結果、ネットに書かれていることは本当のことだと思えた。

ただ、こういう調査は余裕資金で行うことが重要だ。
投資先のことを調査し、本当に継続的に投資する価値があるのか調べないと、ただの紙切れ(今は紙じゃないけど)になっちゃうね。
なかなか難しいが、見切り、損切りは重要かもしれない。

成功する為に必要なことは何なのか?を考え直すことは必要かもしれない。
NLPは海外での認識がそうであったように、楽しく伝えるパフォーマンス力を上げる方法を学びに行くところ、という認識に今よりもなっていくかもしれない。


なぜ海外講師を呼べるのか? NLPは〇〇を見つける社交場だったのだ

参考になったのは、この動画。



理由は意外と簡単だった。
海外講師を呼べる方法を呼んでいる人に聞いたそうだ。
ただ、誰に聞いたかは明かされなかった。

方法は、出来る通訳を雇うことと、講師をもてなし日本の観光案内をすることらしい。
そして、アプローチの方法があるのだろう。

こちらの会社の売り上げがあがり、抜きんでたのは海外講師を呼べたからであるようだ。
その中でも、とある講師の講義を無料特典としたこと。
これが一番だったよう。

やはり、講師への待遇、おもてなしということなのだろう。

しかし、この動画からいろいろな面で、それはなぜだったのか?ということが分かり、NLPって意味あるのかな?とひしひしと感じた動画だった。


NLPまとめ

2016年1月4日月曜日

シンクロニシティという会社 NLPセミナーに行って分ったこと

多くの現在の社長達は戦後2世であることが多い。
親の影を背負いたくない子供達は、親が同じような業種に携わっていたことを隠しているのだろうか。

こんなことを聞いたことがある。
経営コンサルタントである神田昌典さんは親が教育に携わる制服を売るお店を経営しており、教育への貢献のために留学生を多くホームステイさせていたということ。
とあるセミナーで本人が発信した情報である。
親はきっと、英語がその当時から喋れたインテリ?だったのだろうと私は思う。
本人も、学歴からインテリと分かる。
少し業種が違うが、教育に携わるという面では2世社長だろう。
親の意思を継いでアジア人への教育を推し進めたいようだ。

このくらいの少しずれた戦後2世がNLPの会社の代表だったと思う。
親族の直接の事業を継いでいないのだろうか。
親族はシンクロニシティという会社を40年以上前から経営していたのだろうか。
同じようななんらかの教育題材を制作・販売する会社だったのだろうか。

このことを多くの人は知るべきである。
法務局へ行けば、誰でも簡単に知れる公開情報である。
そこには、この会社が設立された年度や事業内容などが記載されている。
それを知らない人は、1代で一から成し遂げたと思い込むかもしれない。
そもそも、本人が発信したラジオの放送より、成績を爆発的に上げた会社エスエスアイは親族の紹介で、コネクションで入った親族と繋がりがある会社である。

シンクロニシティとは、ユングが提唱した概念で「意味のある偶然の一致」を指し、日本語では「共時性」などと訳されるようだ。
おそらく設立時から潜在能力開発、心理学の一端に携わる会社であったのだろう。
この社名を選んだ方に、その時どんなシンクロニシティが生まれたのだろうか。

分ったことは、やっぱりコネと親族は重要だということだ。


2016年1月1日金曜日

ネコからのお告げ シンクロニシティ in 来間島

みなさん、旅行は好きですか?

日本の離島に、来間島というところがあります。

沖縄の宮古島から来間大橋を渡ってゆく、小さな神秘的?な隠れたパワ―スポット島。

海沿いの道を原付で走っていた。
海岸へ行こう♪
海岸にでる横道に入る。

長間浜の隣くらいだったか・・・
少し林が見えて来た。
道が細くなり下り坂になってきた。
よく見なかったけど、砂の道だった。
まだまだ、走れると思っていた。
原付を降りたくない私は、そのまま突き進んだ。

・・・そして突き落ちた。

ガコっ

ん?砂に埋もれた?

危険を察知した私は、試しにアクセルをかけてみた。

ブルん、ブルん


さらに埋もれた。
おしりが埋もれすぎて、バックが出来ない!
坂道だし、さらに食い込んだ。

そして、閃いた!
砂浜の先って、波が寄せてくるところって平らで黒いから、かたそう、Uターン出来そう。
我ながら良案だった。
原付を前に押してみた。

ズボっ


無謀だった。
さらに深みにはいる。
原付押す、動かない。
私、アクセルかける。

ブルん、ブルん

アクセルをかけるとそれはそれはきれいに砂浜の砂が舞う。
原付で砂浜に抜ける細い坂道を下ってしまった。
砂浜にはアダンの木があって、アダンがバックにいらっしゃる。
アクセルかけて進めるわけがなかった。
こういうときって開き直るのだ。
なんとかなる!

日が暮れそうになったら、原付をおいて助けを呼ぶしかない!!
そこは、素晴らしい誰もいない貸切のきれいな砂浜だったのだ。

ぶわん、ぶわん

まるで、犬がここほれワンワンしているよう。

ボコっと穴をほり進めた。

1メートルも進んでない、しかも進んだ方向は海。
これぞ、八方プラス下方塞がり。

意味わかるかな?
原付は足をおくところまで、20センチくらい砂に埋もれている。

どうしよう、グスン、、、
原付に乗って黄昏る私。

なぜその時の埋もれた原付ではなく海を撮ってしまったのか。
悔やまれる。。。


一体どれだけの時が立ったのだろう。

遠〜くから、4、5人、しかもお兄さんたちが歩いて来るのが見えてきた。
じーっとお兄さんたちを見つめる私。
助けて!!オーマイゴー!

これっ、心の声。

通じた!

助けてオーラ全開だったのだろう。
それともお兄さんたちの見る目がよかったのか。
「大丈夫ですか~?」とお兄さん。
そんなわけない。

原付さんは、押し上げられたのだ。




みなさん、フカフカな砂浜では原付は走れませんでした!

気をつけましょ!!

助かった~と思いながら来間大橋を渡り、宮古島に戻り
橋のそばのトイレに立ち寄る。



トイレを出た私を出迎えてくれる小さな珍客がそこにいた。




原付をスリスリ♪

かわいいにゃ~。
ずっとスリスリしてる。
デジカメで写真を撮り始めてもスリスリ。

宮古島,パワースポット,シンクロニシティ

原付に乗って黄昏るネコ。

どうしよう。
降りてくれないにゃい・・・(´・ω・`)
なにか、あるのかにゃ?

そういえば、島の物は持ち帰らない!という話を聞いたな
~。
よく見ると原付には、来間島の砂浜の砂がびっちり。
かるくはたく位じゃだめだったかな?

これは、もう一度来間島に戻って、原付さんをきれいにしてから帰らねば!そう思ったら・・・

あれっ、ネコが降りた・・・

不思議だ。
行ってくるね~、ネコにゃん。

ということで、来間大橋を渡り再び来間島へ~。
来間島へ行くと、最初にあるスポットはタコさん。




歩きか原付などでしか行けないような、細い坂道を登っていくと、大きいタコのモニュメントがある。
そこで、私はせっせと砂を落とす。

もうこれでいっかな?
そんな折、一台の車が現れる。
は?こんなところに車で来たの?
ここはタコさんモニュメントがある、高台から宮古島と橋を見に来る場所。
狭い細い坂道の先はモニュメントしかない狭い公園。

車がUターンするような場所はあるかな???
ちょっとふみはずすと崖だよ?

無謀だ!!!

その車にはお兄さんが一人乗っていた。
どうやら、このモニュメントまで辿りつくために、レンタカーにボコっとしたへこみまで作ってしまったようである。
助けて欲しかったらしい。
私は狭い公園の中で車のUターンを補助し、お尻のちょっと痛い車さんを見送った。

「数万請求されちゃうかな?」とお兄さん。


恐らく、よほどのことがない限り・・・
しかし、こんな場所に車はダメだろ!
ほとんど、観光客がいない場所で私がそこに戻る偶然がなかったら、お兄さんは大丈夫だったのだろうか。

なんだか、ごく最近こんなことあったな・・・


見送った後、また来間大橋を渡る。
先ほどと違ってもう日が落ちており、ライトアップされていた。




またトイレに行ってみた。

ネコの姿はどこにもなかった。

助けられて、助けて、 プラスマイナス0の日 と名付けた。
ネコが運んだシンクロニシティ。
意味のある偶然の一致?共時性?
ネコ様からのご指令か?


ちょっと助けて貰ったんだから、同じような人を助けなさいってことなのか?

まるで人生の縮図?
ネコの不思議。
人生は、この日のようにプラスマイナス0になるのかもしれない。
こんなシンクロが起きまくる宮古島周辺は、ほんとうにパワースポットだらけ。

気づかぬところで調整された世界を私たちは生きているのだろう。

このネコとの出会いは、私にとって記憶と記録に残る最初のシンクロニシティとなったのだった。