2016年12月17日土曜日

なんで橋を架けるなの? ラポール=相手を真似ている状態≒共感≒調和した関係

ラポールとはなんだろうか?

面白かったのは、通訳さんの訳である。
「ラポールは相手から信頼を得るための方法になる。」
そう訳していた。

私がとある所で学んだラポールは、相手を真似ている状態 である。
ミラーリングやペーシングといった方法を用いて意識的に相手を真似ている状態。
また、English.Wikipediaさんによれば、empathy=共感という日本語が相応しいようだ。

多くのNLPを学んだことがある日本人は信頼関係と答えるのかもしれない。
それが、違うかもしれないと考える人はどのくらいいたのだろう。
私は、考えた人だった。

ラポール=信頼関係?

とすると、「信頼関係は相手から信頼を得るための方法になる。」となる。
そして、NLPのすべてに言えることかもしれないが、「こうすると、こうなる可能性がある」という言葉が秘密裏に後にくる。


その人が、この教えを信じてくれれば。
その人が、本当に変わりたいと思うのであれば。
信じるものは救われる。

ただし、多くの体験談の中でこうもいえる。
「ラポールは相手から信頼を失う方法になる。」
なぜなら、相手が自分の真似をしているということが分かった時点で、嫌悪感を覚える人がいるからだ。
こういう手法があるということを知っておくことは今後の対人関係において有意義に働く側面がある。
まず、相手が自分と同じようなそぶりをしたと思ったら、なぜなのか?を考えるきっかけとなるかもしれない。
有利に働くかもしれないし、不利に働くかもしれない。
相手がラポール、相手を真似ている状態、という手法を使っているのかもしれないと思う=自分とは違うかもしれないと気づくということである。

演じて似せていないのに 自分と似ていると思った人に対して人は好意を寄せる。
自然に似ている状態が正常な状態だとすると、演じて似せている状態は少し不自然な状態だといえる。


ラポールの手法とは、仲の良い人たちは自然に似ているという考えに基づき、自分はあなたと同じだよ思わせ、相手からの好意を受けたい時に使うものである。
通常の自分の行動を中断し、相手に合わせて演じることである。
よって、自分が嫌いな人が、自分と同じ行動をわざととったと思った時、あなたはどう行動し、どう思うだろうか。

私は、逆の行動をとるかも知れない。
この人と同じは嫌だと思うかもしれない。
この人は、自分とは違うから、わざわざ私に合わせる為に、演技をしているのかと思うかもしれない。

ラポール、なぜか日本では「橋を架ける」と言われる。
フランス語だが、実際のフランス語の訳だとそんな意味にはならない。
昔、心理学用語として時の精神科医が 患者との 調和した関係 を指す言葉として生まれた。
また、English.Wikipediaさんによれば、building rapport≒調和した関係の構築≒共感 であり、信頼関係としてしまうのは拡大解釈ともいえる。
グーグル翻訳さんを見ると、誰か日本人?が書き換えた節が見える。
実際のフランス語は rapport=報告、関係、レポート である。
日本人に馴染み深いレポートだが、実際にフランス語の発音を聞くとラポールに聞こえる、というかむしろリンゴ?に聞こえる。
結論としては、「相手を真似ている状態≒共感≒調和した関係」は同義であると言える。

恐らく、多くの部分で最初に日本にNLPを運んだ人たち、ビジネスチャンスととらえた人たちは、英語の意味を理解できなかったのだろう。
橋の骨組みが脆すぎて、工事が延期されてきたのだろう。
骨組みは、その道のプロが崩れ落ちないように施工するものである。
もしくは、誤訳させたほうが、彼らの商売にはうまくいったのだろうか。

形成,構築

とあるブログで「海外でトレーナーズトレーニング(講師を育成する講義)を受けているが、英語で話す講師の言葉が理解できなかった。」というようなことが書かれていた。
講師に「意味が理解できているか?」と呼び出されたとも書かれていた。
話す速度が速かったのだろう。
トレーナーズトレーニングはかなりの早口で進められる。
そんな日本人たちが日本で広めていったのである。
誤訳は多いはずである。

恐らく、生徒は比喩をよく使うように指示される。
その講師は心理学で使われるラポールを説明する時に、このもやもやした目に見えない共感というもの、患者との調和状態を作りだすために、橋を架ける ように(相手を真似しよう)と言ったのではなかろうか。

日本語の信頼関係を考えてみよう。
信頼関係= 相互に 信頼できている関係である。
ラポールは、考えてみると片側から架けた橋である。
よく心理学では、自分の気持ちは外に出し、相手に共感の意を伝えることが重要とされる。
悪く言えば、見せかけるということであり、ラポールにこちら側の心の状態は関係ない。

架けた後の達成されたい輝かしい願望がある。
通常、橋は両側から施工され架けられていく。


ラポールという手法を用いて相手を真似する人は、相手のことを信頼しているだろうか。
多くの場合、好意をよせて欲しい異性だったり、お金を運んでくれる相手だったり、何かを得たい、好かれたい、信頼を得たいと思っている人に用いる。
相手からは信頼して欲しいと思っていたとして、自分はどうだろうか。
そして、演技をしていたこと、仮面をつけていたことがばれた時どうなるだろうか。

そのうち、そのままシンプルに本当に似ているもの同士、気が合うもの同士の自然な関係がよいということを実感することができるかもしれない。

しかし、実際にはそんなシンプル生活は社会人生活では難しく、ラポールという手法を習わなくても相手に合わせる、少し似せるということは、すでに活用してきていた私であった。
仕事を効率的に回す為に相手の波長に合わせるよう努力すると、相手が思ったように動いてくれる可能性が高くなり、それはNLPを学ぶ前から経験により必然的に実行していた。
多くの人は意識して相手に合わせる、ラポールという相手を真似ている状態を多かれ少なかれ既に実行してきたのではないだろうか。

意識して行うラポールという手法。
無意識に必然的に実行できる状態になるまで、何かをつかめるまで、仕事においては使ってみてもいいのかもしれない。

本当に信頼を得るためにするべきことは何なのか?
相互の信頼という面において、両岸から施工される橋のような関係が望ましく、もろく崩れ落ちないように、まずは自分自身の屋台骨をしっかり築き、折れない心の強さを身に付けることが必要かもしれない。
小さい頃からの教育が、患者のいない世界を作るのかもしれない。


2016年12月3日土曜日

目標や夢は人に言わない方がうまくいく? NLPの目標設定モデルは無意味?

NLPのセミナーでは決まって今日の目標や、今後の目標を考えて人に宣言する!という時間がある。
あの手この手で少し方法や名称が違うが目標を宣言するワークはとても多い。
実は周りで聞き役となる人にとっては、宣言した人に対して褒めたり、励ましたり、応援したりしなければいけないワークなのだ。


もんもんとしてきた。
言いたくない、めんどくさい。

こんなチャンスは滅多にない。
雲海は条件がそろわないと見ることはかなわないのだ。


調べてみると、かなり以前より 目標を人に宣言すると実現しない可能性が高くなる が、宣言した本人の満足感は高まるという実験結果がでていたようだ。
これが、NLPの目標設定の為のワークの満足度が高い理由なのだろう。
しかし、夢を見ることはできるが、条件がそろわないとかなわないのだ。

私は幼稚園の時、夢を書こうという時間があり、その時「くだらない」というようなことをめちゃくちゃ思った。
なんて夢のない幼稚園生だったのだろう。
夢・私なかったんですけど?幼稚園生ながら空気よんで現実的そうな適当な嘘を書いておいた!
幼稚園生に嘘をつかせる教えなんて、ほんと大人に教えてもろくなことないと思った。
今思うと、それはまったくその通りで、本当に重要なミッション、目標は人に言わない方がうまくいくという定説を幼稚園生ながら無意識に理解していたのかもしれない。
 人に言った時点でそれはかなわぬ夢となる可能性の方が高まるのだろうし。
その強烈な幼稚園生の時の思いはNLPを学んだことでより鮮明になった。

NLPでは目標を設定する時間が多すぎる。
この経験は人生の内緒のミッションの成功の為に重要な初等教育だった。
よって、NLPセミナーで教えられる目標設定の為の講義は「くだらない?」

NLPで目標設定する時間の本当の意味は、宣言することで 支持し助けてくれる人を募ること にあるのかもしれない。
重ねていうが、実際には達成されない、ついえる夢となる可能性が高まるようだ。
もちろん、支援したいと思える人であることも重要だ。


これは、政治家であれば政策目標であり、企業であれば経営目標となる。
政治家は市民から、企業は株主や従業員からの支持を(一瞬でもいいから)受ける為に。
目標達成には市民や株主や従業員の協力を取り付けなければならない。
この目標を達成しなければいけないという使命は、社畜を産み、多くの人の品性を低下させ、精神を疲弊させるのではないだろうか。
その為、立てられた目標はさまざまな解釈によって変えられたり、達成の度合いは軽視され、達成不要となることが多い。
よって、適切な現実的な目標設定が必要である。

そして、影響力のある支援者を募ること がビジネスにとって最重要である。
NLPはアメリカでは政治家や企業のリーダーシップトレーニング、パフォーマンス力の向上のツールとしてセミナー運営会社が活用しているようだ。
支援を募る為には、パフォーマンス力と一定のレベル以上である必要はあるだろう。

初等教育の時点で、ある一定のレベルに達していれば、目標設定を他人が強要しなくても成功するものは多いだろう。
個々の中での目標はあったとしても、人前で発表させることは目標達成をしづらくする。
ただ、最近はこういったセミナーの影響なのか部下のマネジメントという観点から目標を立てさせるという時間があったりする。
評価も目標設定から達成の度合いが重要な要素を占めてしまう会社もある。
部下としては、その目標設定いらなくね?と思っていた。
ある程度までいくと、自分との戦いになるだけである。
そういう時、立てた目標なんてほとんど関係なくなった。

「一日一食にしよう!」とか、自分一人だけで達成できるような現実的な目標設定ならいいかもしれないが、一人で達成できないような目標は人に言わない方がいい。
また、自分で決めた主観的な目標よりも、他人に求められる客観的な目標の方が人は 使命感や必要性 を強く感じ達成出来るかもしれない。
医者に「たばこを辞めないなら、手術しない。」と言われると、どんなに目標として頑張ってみても成功しなかった禁煙が成功するように。

また、 サイバネティックス についての投稿で紹介しているように、目標は無意識に達成されることが望ましく、一瞬の直感の連続を繰り返すことが目標達成の秘訣という考えもある。

これからは、客観的な現実的な目標を指示してくれる、支援者を募れるようなパフォーマンスの練習場としてセミナーを活用しよう。
そして、達成力を高める為に 本当に大切な目標は秘密 にしよう。

TED 2010.7 目標を自分に保つ


https://www.ted.com/talks/derek_sivers_keep_your_goals_to_yourself?utm_campaign=tedspread&utm_medium=referral&utm_source=tedcomshare

2016年11月10日木曜日

超☆能力があれば相手の心が読める NLPのキャリブレーションは誤訳?

心理状態の変化と訳したのは拡大解釈?誤訳?であり、正しくは「あなたの非常に鋭い感覚を使用して、他の人に発生する瞬間の変化に気付く能力」≒観察力である。

ある講師にとある部分を突っ込んだところ、「あ~、NLPを最初に訳した人達は、NLPのことをよく分かっていなかったみたいよ~」とのこと。

また、NLPのラポールの意味 相手を真似ている状態≒共感≒調和した関係 で書いたように、英語もよく分かっていなかったようだ。
だったら、修正すればいいのに!と思うが、何か問題があるのだろう。

NLPのトレーニング中で、私はキャリブレーションについて調べることになった。
ネットの内容はだめだけど、本の内容は参考にしていいとのことだったので、ABNLPのタッド・ジェームス氏のタイムラインセラピーの翻訳書を手に取る。
キャリブレーションについて触れている本はあまりなかったが、この本には用語集があった。
アマゾンの評価で訳が全然違うと書かれていたのが心配で、原著をお持ちの方に確認してみた。

結果、訳は拡大解釈であった。

心理学,NLP原著の用語集

Calibrate:The ability to notice changes, which occur from moment to moment in another person, using your sensory acuity.

意訳すると、「あなたの感覚の鋭敏さを使用して、他の人に発生する瞬間の変化に気付く能力」である。

また、sensory acuityも実はNLP用語であり、直訳すると「感覚視力」だった。
Sensory acuity:Having very acute levels of sensory perception.
意訳すると、「非常に鋭い感覚知覚を持っている」ということだ。



日本語訳
キャリブレーション:自らの感覚的鋭敏さを活用し刻一刻と変化する相手の心理状態を正確に見極める能力

ここで分かることは、日本語訳ではなぜか心理状態と断言してしまっていることである。
この翻訳書の出版日は私にとって考え深いものであり、メッセージ性を感じる。
何かの声や数字は、何かを暗に伝えるメッセージだったのかもしれない。


しかし当然ながら、原著や著者によると、心理状態は推測でしかなくキャリブレーションとは違う と考え教えている。
読心術って、☆超☆能力とかっていう最先端科学技術がないと無理。
ほとんどは、これまでの培った自分の経験からくる気づかいや勘違いを含めた推察力だろう。
NLPのキャリブレーションは、前後の違いを他人が比べられる、心理状態以外の知覚可能な変化に気づく力のことである。

英語から考えて、どんどん変わってしまう視覚化可能な身体的変化と言った方があっている可能性は高い。
物事の状態や変化を客観的に注意深く見ること。=観察 であるので、やはり観察力というのが日本語としては相応しいと思われるが、実際に聴覚的なものも前後の変化に気づくことが推測ではなくできるので、心理状態を省いて伝えるのであればセーフであろう。

一言でいうならここでいうNLPのキャリブレーション≒観察力であり推察力ではない。
「あっ、今眉毛が1ミリくらい上に動いた」みたいな。
観察眼と捉えた方がいいような気もするが、、、

鋭い観察力=keen powers of observation
であるので、ビジネスや日常でキャリブレーションを観察力と同義語だと思って話さないようにしたほうがよい。

射程距離を測定する、(銃の)口径を測定する、較正する=Calibrate
である。
原著ではCalibrateだが、日本語訳ではCalibrationになっている。
精密機器、銃とかの正確な測定に関する言葉かも?

おそらくこのNLP用語を最初に作成した人は、銃が好きな欧米人だったのだろう。
NLPを人に教えるところまで理解しようと部分的にスポットを当てて調べていくと、こういう気づきは多いのかもしれない。

また、NLPの団体によって教え方や定義は違い、教えやすいように作った用語、造語である以上、それが分かるNLP関係者の中でだけ使う言葉として捉えていきたいところだ。
NLPではなくビジネスコミュニケーションとして教えている団体もある。
ビジネス用語として会社で使っている上司がいたが、思わずつっこみたくなってしまった。
会社では、極力日本語を使おう!

NLPに限らず他国のものを日本語に訳したものには誤訳や拡大解釈がつきものであり、本に至ってはその翻訳家の腕にかかわらず、出版社とバックの思惑が重なって原著と全然違うことがある。

ある翻訳家によると、本が売れる為には!ということやその内容を売る為には!とかを考えて翻訳していると言っている。

決められたページ数の中に内容を押し込む為には、なんとかして纏めなければならない。
英語を日本語に訳すと日本語の方が文字量が多くなってしまう為、重要な部分の意味が変わってしまうような端折りをすることもあるようだ。

出来れば原著と翻訳書を比較して読むことをおすすめする。
英語が分からない場合、スキャン翻訳アプリを利用するのもよい。
出来なければ翻訳された外国の書物などは、原著との違いがあることを十分理解した上で読み進めていこう。


2016年9月5日月曜日

メラビアンの法則はいつ社内・ビジネス研修から消えるのか?

正しい認識がネット上にあふれているのに、いっこうに消えていかないこの法則。
最近でも、もっぱら社内研修やビジネスセミナーで使われている。
転職が多いのがばれる・・・が、業界最大手も含めて少なくとも4社でこれを教えていた。

ビジネスセミナーでは若干、正しい認識の方が優先されはじめ、使われなくなってきたかもしれないが、社内研修ではまだまだ健在である。
企業の研修担当は、昔のコミュニケーションに関わるNLPなどのセミナーの知識をそのまま更新せずに使い続けているからだろう。


この法則、完全に誤用である。

接客業や電話応対などの研修において、第一印象は7秒で決まるとか言ってしまっているが、これは事前にそう思い込まされたことによる人の思い込みを利用した、この法則を売る為の言葉である。
今一度、自分の周りの知人やお客様への第一印象がいつ決まったのかを思い返して欲しい。
ほとんどの場合、最初の7秒なんて覚えていないのではないだろうか?

「終わりよければすべてよし。」というように、私の接客経験から最初怒っていたとしても、1時間話して帰り際に笑っていればOKである。
ビジネスでの体験から、人の重要な印象はその人に関わった最後の方が重要だと思う。

NLPを教える講師は、これが誤用であることが分かっていてもこの内容が生徒を納得させるのに有効である為に使い続けている人たちもいる。
間違いが分かっていても、間違いであることを伝えない。

なぜそうなるのか?
ひとえに、NLPとはそういうものだから・・・
生徒に信じ込ませることができればOKな考えだからである。
NLPは今では科学的ではない疑似科学ということが一般的になっている。
今では違うと分かっていることが多い。

論文,本,恋愛,非言語コミュニケーションなぜ、世の中の真実ではないと分かっているのに、間違いを教えるのか?
みんなが教えてくれない「NLPの前提」の本当の意味 にもあるとおり、生徒にそう信じて欲しいからである。

アルバート・メラビアンの法則、この法則が日本に入ってきたのはいったいいつだろう?
どうやら、有名な人が誤用として広めてしまったらしい。

実際の実験では、写真と音声を使った単調な実験であったよう。
当のアルバートさん本人も、通常のコミュニケーションにおいては使えないと発言しているようだ。
このことをとあるNLPのトレーニング中に活用しようとしたら、教えている内容に誤用があるから使うなと止められたようだ。


知らない人の写真を見て、同時に音声を聞いて、被験者がその時どう思ったか、というものらしい。
他の情報はない。
相反する2つの情報を被験者が受け取った時に、どう受け止めるか、支持するかという単調な実験らしい。
「怒っている表情」の写真を見ながら、「怒ってないよ」という音声を聞くというようこと。
実際のコミュニケーションにおいて、初対面であれば表情を支持することはありえるが、その人の普段の顔が怒り顔だったり、その人に最近起こった出来事などを知っていれば本当に怒っていないという言葉を支持することになる可能性がある。

確かに、こんな単調な実験だったとしたら、言語は7%になるかもしれない。
この%の数字も、考えてみると好きな数字を並べただけなんじゃないかなと思える。
「7」って、好きな人多いし。
「7-38-55」
覚えやすい好まれる数字であった、というのも広まった要因かも知れない。
新聞の見出しに出たら、思わず見てしまう数字だ。

たまにNLPの内容がTVで登場することがある。
都合よく編集され、世の真実、実際のNLPの教えはどこにいったのか、、、横道をそれて放送される。
その方が分かりやすいと感じる人が多いからのようだ。
そして、NLPを知らない人はTVで放送された情報を鵜呑みにして人に伝えてしまうことがある。

よくネットを信じられるとこまるNLP講師は、ネットは嘘ばかりという。
恐らく、そういう講師の作るHPには、なんらかのカラクリがあるのだろう。

ネットは嘘もあるし真実である部分もある。
それは、TVも本も伝聞もネットも同じことだと思う。

今、必要なのは、それを 見分けられる 経験と検索力なのかもしれない。

2016年8月3日水曜日

みんなが教えてくれない「NLPの前提」の本当の意味

NLPには、「NLPの前提」というものがある。

日本語の用語集を見ると、「必ずしも真実でない、生徒に受け入れられ、信じてくれると、NLPのプラクティショナーとしての成果を向上させることができる想定や便利なビリーフ(普遍的な価値感)。」と書いてある。

教える側からすると、「NLPの前提」を信じてくれると講師は助かる。
教わる側も、何かいいことあるかもしれない。

ビリーフは直訳すると、信念、信じること、思い込み。


ABNLPのタッド・ジェームス氏の原著を見ると、NLPでのビリーフはNLP用語であり、私なりに意訳すると 世界中で 普遍的に信じられているもの、価値観のようなものだと思う。

道徳や善悪の一般的な考えなど、世界中の多くの人に信じられていることを指すようだ。

しかし、必ずしも真実ではない想定とは、、、

もちろん日本人講師はそんなことセミナー中には言ってくれない。
言ってくれてたら、すばらしい。

分かっている人と分かっていない人とだと、会話が大変である。


プラスマイナス=0
生徒にこの印象を与えてしまうと意味がない。
生徒を混乱させ、NLPは結局なにも意味がないと思わせてしまう。

NLPは科学的である、しかし、今では科学的でない部分が多いと分かっている。
NLPは役にたつ、しかし、使い方を間違えると逆効果である。
NLPをほんとうに知っている人にあう時は、そのまま素の方がいいことが多い。

初めてNLPを学ぶ人に、このようなほんとうのことを、伝えたらどうだろうか。

教えたい情報にマイナスの情報(正しい情報)をつけると生徒は結局意味ないじゃんと思って帰っていく。
矛盾した情報を与えると生徒は混乱する。
それでは、講師は困る。
その為、正しい矛盾した情報はわざと与えない。
教えた情報、プラスの情報のみ、メリットのみを与える。
生徒はその方が、聞きやすく、分かりやすいと感じるようである。

アマゾンや楽天などで、商品の口コミを見ないで買う人はいるだろうか。
いるだろうが、私は見てから買う。
メリットとデメリット両方読みたい。
時々、いいデメリットの紹介だと思うものが時間がたつと消されていたりすることに気が付く。
商品のデメリットは説明書の最後にちょこっとだけ書かれていたりする。
商品を売る側の気持ちを考えてみよう。

講師としては、セミナー中に生徒が困った質問をすること(NLPって役にたたないんじゃない?とか)や、非協力的な状況(ワークは生徒が協力してくれないと成り立たない。)を抑制しておきたい。
すばらしいことに、日本ではそんな揚げ足をとるような生徒は、空気を読んであまりいない。
海外ではそうはいかない。
そういう時に、「NLPの前提」や生徒にあらかじめ約束させる規約は重要である。

やはり、NLPの考え方は、キリスト教から来ているのだろうか。
世界で一番のベストセラー本は聖書と考える人もいる。
西洋人にとっての馴染みある指南書である。
講師は牧師・宣教師ともいえるだろうか。
有名な人生の指南書である「7つの習慣」、実はこれもキリスト教の一派の聖書が元のようである。
今では、現在伝えられているキリスト教の教えをそのまま受け取る人は、なかなかいないだろう。
原始の宗教はかなり変更がされ、一部の人たちによって、都合よく改ざんされてきたからである。
確かに、信じることで救われることはある。
聖書に書かれている内容がすべて改ざんされたとは思っていない。

現在のキリスト教は金儲け主義に走っているように私には思える。
NLPも金儲けの手段として使われているように私には思える。

「NLPの前提」や教えをすべて世の真実と思っている人がいるのはなぜなのか?
ひとえに、NLPはそういうものだからである。
願わくば、そういう前提があることを知ってからお話ししたいものである。
現在は、プレゼンテーション方法を教える場として活用されているようだ。

2016年6月4日土曜日

アメリカではジョーク 日本ではお世辞 リフレーミングって嫌われる?

これが出来ると違う、とトップセールスマンに言われる。
セミナー中、ネガティブ発言を聞こえが良いポジティブにしようということでみんなで考えた。
嘘はきらいっと言ったら、トップセールスマンは詰まってしまったようだ。

リフレーミングとは、物事の意味、見方を変えること、創造的な考えの基礎であるそうだ。
物事の意味が変わると、人の反応や行動が変化すると考えている。
言葉で見方を変える、今までとは違う見方のきっかけを与えることで、クライアントにポジティブな感情を持つ時間を多く持って貰うことは多くの場面で有効だろう。
「命を救うために家にこもることは、人や環境を守ることに繋がる。」

言葉の意味、見方を変えること、うまい表現を創造すること、要はお世辞、ちょっと嘘?ともとれる。
ビジネスでは上司や部下、お客様に気に入られる継続した努力が必要かも?


欧米では、心理学の家族療法で使われていた用語だったようだが、多くの治療法で共通しているようで、児童文学などでも取り入れられているようだ。
日本では、カウンセラーのみならず、ビジネスマンも学ぶ用語として認識されているが、もともとお世辞という言葉で定着していた考えだと言える。

日本は建前、お世辞文化だ。
庶民の間でも日常のコミュニケーションにお世辞は使われてきた。
そこで、嫌われるお世辞ということにも目を向けなければいけない。

辞書を紐解くと、「お世辞=他人に対する愛想のよい言葉、人に気に入られるような上手な口ぶり。」である。
お世辞は嫌われる?
人によっては、嘘だと思ったら嫌われるかもしれない。
ただ、嘘でもうれしい人もいるかもしれない。

嘘でないお世辞、リフレーミングが出来るとよいね。
その為には、その相手のことをよく知る必要がある、同じリフレーミングの言葉でも人によってはうまくいく人といかない人がいる。
それがないように考えると意外とネガティブ発言によってはリフレーミングできる言葉がみあたらなかった。
「これしか思いつかなかった?」
とセミナー講師に言われてしまう・・・

心理学カウンセリングの基本かもしれないが、ネガティブなクライアントに対してはあまりこちらから言葉を創造せず、ただ共感の意を伝える、ボディランゲージ、ノンバーバル、相槌などだけで良いのかもしれない。
ビジネスのお客様やコーチングであればリフレーミングを試してみても良いのかもしれない。

English.Wikipedia さんによると、リフレーミングはジョーク、神話、伝説、おとぎ話、そして最も創造的な考え方の基礎とのこと。
ジョークとは、冗談(じょうだん)=ふざけた話、いたずら、軽口でありつつも、聞き手や読み手を笑わせたり、ユーモア、人を和ませたりするような短い話や洒落の事だ。

欧米ではジョークとして認識されているとは新しい発見だった。
創造性のある考えとされる代表各。
この時点で、アイパターンの理論を活用できるのであれば、目の動きは右側ってことだ。。。
きっと、できるトップセールスマンは右上に目が動く人が多いに違いない。

論文を読もう! NLPのアイアクセシングキュー/アイパターンは支持されない?

2016年5月22日日曜日

右上は嘘じゃなく配慮かも! NLPのアイアクセシングキュー/アイパターンは支持されない?

調べると、あらゆる論文によって否定され、瞬間的なVAの一部のみ支持されており、あまり語られないリード表象(優位とは別)があり、ことわざの意味も考慮した結果、やはり使えない?ということに。
私はとあるトレーニング中、アイパターンについて検証をすることになったが、実際の結果をかみしても、使えない要因は多大にあり、嘘を見破るにはこれじゃだめ。

人生の質を左右する最強ツールは笑顔かもしれない。
人生で成功している方の多くは笑顔でいる時間が長いという。
海外では笑顔でいることを幼少期より学ぶ?らしい。
笑顔は学ぶものだったのだ。


アイパターンって、目が見えないと意味がない!
普段から笑い顔の人って、いつも目が細くなっているから目の動きなんて見せない!!
なんて完璧な戦略なんだろう!!!

野良 目の動き「これからアイパターンの検証をします。」
という場であれば、被験者は惜しみなく協力してくれる。
可愛くスタンバってくれた。

実験であっても、質問を投げかけると目は動いてしまう。

が、しかし。。。

あまり語られないリード表象システム(優位表象システムとは別)と言われるものがある。
何かを思う時、内部情報にアクセスする時、その人が一番最初に使うシステム、仕組み、決まった動きのことだと定義している。
アイパターンからリードする目の動きを見つけ出すことができるとしている。
何かを思う時、リードする目の動きがあり、通常のアイパターンで語られる目の動きはその後にやってくる?
そこから言えることは、だいたいの質問で2回は目が動くかもしれないということ。
そもそもリード表象しかないのかも・・・

また、English.Wikipediaさんによれば、眼球運動/視線解析は 瞬間的な思考のVA(Kは入らない)は支持される部分もあるが、一般理論の根幹部分はあてはまらない と1980年代に示されたようだ。

そういえば、検証でもKはその通りに動かない人が多かった。
私自身の検証結果としては以下があげられる。
ゆっくり言ってゆっくり待たないと目がパターン通りに反応しない人。
特定の場所に反応しない人。
わざわざ目を動かしてくれちゃってると思われる人。
どんなにがんばっても逆に目が動く人が10人中2人、しかも、全部が逆に動くのではなくKのみ逆だった。

リード表象って思考のクセってこと?
基本的には無意識に動く、クセのような動きの為変わらない。
しかし、クセは無意識から意識にあがり、変えようと意識し続けると変わることもある。
私のリード表象はVのよく嘘をつく時に動くとされる右上である。
そもそも、ガチャ目で利き目が右。
見る人が見れば真顔でも黒目が少し右にずれている。
何時も、街を歩く時には足元でなく看板や空などの上を見ていると言われる。
日常の生活習慣により、私のリード表象は決まってしまったのではないかと思われる。

残念ながら「これからアイパターンの検証をします。」という場でアイパターンの事を知ってしまっている人を被験者に選ぶことは、リード表象を確認することを困難にさせた。
ただ、目が泳いだ後にゆっくりとパターン通りに動かした被験者はいた。


チャート,VAK

海外のサイトを参考にアイパターンの一般的な図を作成してみた。
そもそも、嘘をつく右上っていっても、質問されたことが経験上なければ、右上に動くことが一番多いと思われ、嘘というか身に覚えがない!という潔白を証明することになるかもしれない・・・

親切に注意書きを用意してくれる団体であれば、一般的な右利きの人の場合のパターンであると書いてある。
こう考えていくと何パターン、何通りもありそうだ。
質問によるかもしれないし、その他要因もいっぱいあるかも?
日本人って、幼少期に強制された右利きが多い?
私、先天的には左利きかも。
また、民族の習性によって思考する場所が違ったりすることもあるかもしれない。

サブモダリティを考えてみることは興味深い。
過去に作り出した映像を思い出そうとするとき、どこにその映像はあるのか?
通常の一般理論であれば、作った時は右上でも思い出す時は左上だ。
しかし私の場合、いずれの場合でも右上にあることが多いのだ。
どのあたりにあるのか?を考えていった時、その物事によってその映像がある場所は違わないだろうか?
その物事を創造した映像や記憶の中の映像を思い出す時、実際にその映像を作ったり見たりした場所を見る気がする。
その時によって、右上だったり、左下だったりまちまちである。

その人の思考の速度やその時の状況によって、目はどんどん動く。
質問から連想される別の思い出や想像に飛んでいってしまうこともある。
「いつおわるのかなぁ~」とか♪

ただ、こんなにも人から使えるかも?と思わせてしまうのは確かである。
目が泳ぐという慣用句があったり、目に関することわざもある。
有名なことわざに「目は口ほどに物をいう」というものがある。
ことわざの意味は「情のこもった目つきは、言葉で説明するのと同等に、相手に気持ちが伝わるものだということ。」だ。
ここで重要なのは、情のこもった目つきって何?って考えてみることである。
軽蔑した目ってどんな感じ?
驚いた時の目ってどんな感じ?
民族の習慣によって、これを表したい時はこんな目の表情だよね?という共通認識があったりして、意識・無意識にかかわらず目の表情を変えるだろう。
むしろ、分って!って思って意識的に変えないだろうか、、、
目を細めるとか、目を見開くとか、、、
目の動きの方向というよりも、表情を言っている。
目を見ることは重要かもしれないが、それは小さいころからの思考のクセかもしれないし、目の動きだけで判断してはいけないだろう。

目を動かさないと何も考えられない、なんて人も私が検証した人の中でいた。
目が据わる(目が動かない)という言葉があるが、そういう人はたちが悪いと考えられている。
特定の場所に動かなかったり、目の動きが少ない人は何かしらの訓練を受けていたり、トラウマを抱えていると考えられているようだ。
小さい頃からの何かのクセだったり、生きていくすべだったかも知れない。
ちなみに、私はセルライトがたまっているためか、動くけど、左上に動かすと目が疲れる。

そして日本は お世辞文化。
人と話しをする時、いい言葉を創造して話すことはないだろうか。
気づかいってこと、大人ですもの。
NLPでいうとリフレーミングだ。

言えることは、人から何か質問を投げかけられると目は動く。
質問を投げかけられた時、思考は瞬間的に動き、同時に表情とかも動くだろう。

私たちは、目の動きの向き、強弱、目も含めた筋肉の動き、表情を観察して見ることは出来る。
そこから、こうなのかな?と推し量る、推測することはできるだろう。
でも、本当の意味でその人を分かったわけではないだろう。
そのくらいの推測、アイパターンを学んでいなくても分かる人は多い。

とある探偵学校の先生より、本当に嘘を見破りたければその人(家族)の寝室にこっそりレコーダーを仕込むべきなようだ。
実生活でこのパターンが役にたつとするならば、家族や夫婦間でのもめごと時が多いようなので。
証拠2つくらいあることが重要なよう。
アイパターンを見ても証拠にはならない。

家族などであれば、特定の条件下での目の動きを何度も試す機会がある。
機会が多ければ多いほど、当てられる可能性は高まるかもしれない。
が、初対面の相手や少しの付き合いの友人やお客様などでは難しいだろう。

良い活用ができるとすれば、推測することから生まれる 気づかいと親切心が人を幸せにする かもしれないということ。

昔々、NHKの白熱教室で「幸福とは?」という幸福に関する研究を行ってきたアメリカの大学博士の講義を見た。
「ここにいること」「人とのかかわり」「親切心」
この3つの要素は人の幸せに繋がることが多いと説いていた。
特に、「ここにいること」がこの放送があった後くらいから少し言葉を変形させて、よくビジネスで使われるようになってきた気がする。
日本のちょっと名のしれた人たちがこのフレーズを使っているのをよく見かける。
この3つの要素は抽象的であり、危うい言葉である。

困ったことは、金儲けができるという触れ込みで営業目的で潜入する人たちがいることだ。
明日は自分のお客様。
親切にしたいと思える相手がいることも重要?
集まる参加者のレベルも重要?

営業マンたちの実験台となる親切心ばかりの場であった!!
合わせないと空気読めない悪い子になっちゃう!
良いことを言ったと思える幸せな時間。
一日十善以上の時間だね。
ただ、人生において日々をもっと後ろめたくない言葉で過ごしたいものである。


参考:日本催眠心理学会  NLPに関する研究調査結果:支持されないデータまたは不可能理論?