2017年1月4日水曜日

島内はゆっくり走ろう 蝶とシラサギからの伝言 in 伊良部島の鍋底のそばにて

2008年、私はよく旅行先の沖縄で原付に乗って走っていた。
パワースポット巡りが好きだった私は、宮古島のお隣、伊良部島のパワースポット・鍋底のそばを走っていた。

なべ底 子宮 入口 絶壁 危険 生まれ変わり 母胎

そこは伊良部島の周回道路。
あたたかい風が吹くその日。

見上げるとちょい曇りの周回日和。
雲が羽のよう。
誰もいない道、眼下には青い海。

  
バシっ!
「イタっ!」

 蝶にあたる。
  ミラーをのぞくと顔が黒い。

「いやぁ~ん。」
ふきふき。

  蝶にあたると黒くなる。
ふきふき。


 道にはカニが歩いてる。
 「ひいちゃうよ。」

ふと見ると、蝶が行き倒れている!
写真なし。

「飛べないの?」
             「うん。。。ぐすん。」 (勝手に想像)
 
片っぽの羽だけパタパタ。
飛べないみたい。

 「ここは道の真ん中だよ?」
             「うん。。。もうだめ。」 (勝手に想像)

 「よしよし。」
 蝶をはじめてつまむ。

 道の端に移す。
 「あっ、手が黒い。」
ふきふき。

 「一日一善♪ いいことした、ゆっくり走ろう!」

 走っていると道の真ん中に大きな白い鳥。



「シラサギ?」
  それは蝶に出会った直後。

 振返ってこっちをみている。
 原付をとめてみた。



バタバタ~。
すぐ飛び去ってしまった。

少し走るとまた道の真ん中にいる。
またこっちみてる。

近づくと、またシラサギが飛ぶ。
わたし追いかける。

 「これは・・・。ついて来いって言っている!」
そう思った。

シラサギ、飛ぶ~。
私、追いかける~。

飛ぶ~。
追いかける~。


  まるで、白ウサギを追いかけるアリスみたい!

ちょっとちがうけど。

何回か追っかけていると・・・

「あっ!シラサギが脇道に入っちゃった。」

 無意識?
  呼ばれている気がする。
  それは、ふしぎな感覚。

 それは、脇道に入った瞬間のこと。


空をふわぁ~と、蝶が舞う。

入った瞬間ふわぁ~っと。
一斉に空へ舞い上がる。

 数えきれない蝶の飛翔に出逢う。


そんな2008年の体験は時とともに一部のみ、「シラサギを追って行ったら、蝶が一斉に飛びたって綺麗だった。」ということだけになっていた。
いつも蝶がいる脇道なのか伊良部島の島人に聞いても「ただの脇道だよ。」とだけ。

そして、それがいつの時期だったのかも忘れ、その後何回その脇道を通っても、伊良部島のどの道を通っても、他の島に行っても、蝶の群れの飛翔に出逢えることはなかった。

鍋底のように、いつも同じ三日月の入り口から入れば見れる景色とは違ったようだ。

その為、あれはたまたまだったのか~と思い、時は10年くらい流れ、、、

機会を得てきっかけを思い出した。
忘れていたことがあった。
その脇道にはシラサギがいなければ入らなかったのだ。

一匹の蝶に出逢った。
蝶は跳ねられて、道の真ん中で片っぽの羽を動かしていた。
私はこれ以上ひかれないように道の端へ移動させた。

シラサギはその直後に現れた、ということを忘れていたのだ!

きっかけを思い出した時、涙があふれてきた。
泣ける話だった。
そう思ったが、意外と泣けないらしい。

聞くところによると、シラサギには人を呼び込むような習性はないとのこと。
前世、鳥だったんじゃない?とも言われてしまう。



私を仲間と歓迎して招待してくれたようにも思えたし、仲間の蝶の恩返しのようにも思えたのだ。

 これは、蝶とシラサギからのメッセージ?
 これは、クルマ社会への警告?

蝶とシラサギは、私に何かを伝えたかったのかもしれない。
10年くらいたって、そう思えた。
蝶や鳥たちは、いつもぶつかってくる私たちが嫌いかな?
そして、ぶつかってしまう速度で走ることは、少し控えようと思った。
少し、地を見て走ってみよう。
蝶やシラサギとの出逢いは、私の何かを変え、自然と共生するための大切な何かを教えてくれたのだった。
車を買うのはやめよ。



2016年12月31日土曜日

はじめに

NLP(神経言語プログラミング)を学ぶ上で必要な日本語の教科書だが、欧米との認識の相違が多く、原著やEnglish.Wikipedia、実際のトレーニングを受けたことを総合的に判断し、紹介することにした。
日本で一番大きいNLPの会社はタッド・ジェームス氏のABNLPを採用しており、そこから派生した会社も多い。
また、採用した理由として、TAD JAMES CO.の教え方はきちんと現在NLPがおかれている状況、事実に即して教えている部分が多かったからだそうだ。
欧米ではNLPは数十年前から科学的根拠がない疑似科学であるとされ、パフォーマンス力を高める方法として採用されていた。
しかし、日本ではそんなABNLPの商号を使っていてもタッド・ジェームス氏の考え方などはあまり採用されていない。
最終的に学んだ人が、なぜなのか?を理解できるきっかけになれば。

2016年12月17日土曜日

なんで橋を架けるなの? ラポール=相手を真似ている状態≒共感≒調和した関係

ラポールとはなんだろうか?

面白かったのは、通訳さんの訳である。
「ラポールは相手から信頼を得るための方法になる。」
そう訳していた。

私がとある所で学んだラポールは、相手を真似ている状態 である。
ミラーリングやペーシングといった方法を用いて意識的に相手を真似ている状態。
また、English.Wikipediaさんによれば、empathy=共感という日本語が相応しいようだ。

多くのNLPを学んだことがある日本人は信頼関係と答えるのかもしれない。
それが、違うかもしれないと考える人はどのくらいいたのだろう。
私は、考えた人だった。

ラポール=信頼関係?

とすると、「信頼関係は相手から信頼を得るための方法になる。」となる。
そして、NLPのすべてに言えることかもしれないが、「こうすると、こうなる可能性がある」という言葉が秘密裏に後にくる。


その人が、この教えを信じてくれれば。
その人が、本当に変わりたいと思うのであれば。
信じるものは救われる。

ただし、多くの体験談の中でこうもいえる。
「ラポールは相手から信頼を失う方法になる。」
なぜなら、相手が自分の真似をしているということが分かった時点で、嫌悪感を覚える人がいるからだ。
こういう手法があるということを知っておくことは今後の対人関係において有意義に働く側面がある。
まず、相手が自分と同じようなそぶりをしたと思ったら、なぜなのか?を考えるきっかけとなるかもしれない。
有利に働くかもしれないし、不利に働くかもしれない。
相手がラポール、相手を真似ている状態、という手法を使っているのかもしれないと思う=自分とは違うかもしれないと気づくということである。

演じて似せていないのに 自分と似ていると思った人に対して人は好意を寄せる。
自然に似ている状態が正常な状態だとすると、演じて似せている状態は少し不自然な状態だといえる。


ラポールの手法とは、仲の良い人たちは自然に似ているという考えに基づき、自分はあなたと同じだよ思わせ、相手からの好意を受けたい時に使うものである。
通常の自分の行動を中断し、相手に合わせて演じることである。
よって、自分が嫌いな人が、自分と同じ行動をわざととったと思った時、あなたはどう行動し、どう思うだろうか。

私は、逆の行動をとるかも知れない。
この人と同じは嫌だと思うかもしれない。
この人は、自分とは違うから、わざわざ私に合わせる為に、演技をしているのかと思うかもしれない。

ラポール、なぜか日本では「橋を架ける」と言われる。
フランス語だが、実際のフランス語の訳だとそんな意味にはならない。
昔、心理学用語として時の精神科医が 患者との 調和した関係 を指す言葉として生まれた。
また、English.Wikipediaさんによれば、building rapport≒調和した関係の構築≒共感 であり、信頼関係としてしまうのは拡大解釈ともいえる。
グーグル翻訳さんを見ると、誰か日本人?が書き換えた節が見える。
実際のフランス語は rapport=報告、関係、レポート である。
日本人に馴染み深いレポートだが、実際にフランス語の発音を聞くとラポールに聞こえる、というかむしろリンゴ?に聞こえる。
結論としては、「相手を真似ている状態≒共感≒調和した関係」は同義であると言える。

恐らく、多くの部分で最初に日本にNLPを運んだ人たち、ビジネスチャンスととらえた人たちは、英語の意味を理解できなかったのだろう。
橋の骨組みが脆すぎて、工事が延期されてきたのだろう。
骨組みは、その道のプロが崩れ落ちないように施工するものである。
もしくは、誤訳させたほうが、彼らの商売にはうまくいったのだろうか。

形成,構築

とあるブログで「海外でトレーナーズトレーニング(講師を育成する講義)を受けているが、英語で話す講師の言葉が理解できなかった。」というようなことが書かれていた。
講師に「意味が理解できているか?」と呼び出されたとも書かれていた。
話す速度が速かったのだろう。
トレーナーズトレーニングはかなりの早口で進められる。
そんな日本人たちが日本で広めていったのである。
誤訳は多いはずである。

恐らく、生徒は比喩をよく使うように指示される。
その講師は心理学で使われるラポールを説明する時に、このもやもやした目に見えない共感というもの、患者との調和状態を作りだすために、橋を架ける ように(相手を真似しよう)と言ったのではなかろうか。

日本語の信頼関係を考えてみよう。
信頼関係= 相互に 信頼できている関係である。
ラポールは、考えてみると片側から架けた橋である。
よく心理学では、自分の気持ちは外に出し、相手に共感の意を伝えることが重要とされる。
悪く言えば、見せかけるということであり、ラポールにこちら側の心の状態は関係ない。

架けた後の達成されたい輝かしい願望がある。
通常、橋は両側から施工され架けられていく。


ラポールという手法を用いて相手を真似する人は、相手のことを信頼しているだろうか。
多くの場合、好意をよせて欲しい異性だったり、お金を運んでくれる相手だったり、何かを得たい、好かれたい、信頼を得たいと思っている人に用いる。
相手からは信頼して欲しいと思っていたとして、自分はどうだろうか。
そして、演技をしていたこと、仮面をつけていたことがばれた時どうなるだろうか。

そのうち、そのままシンプルに本当に似ているもの同士、気が合うもの同士の自然な関係がよいということを実感することができるかもしれない。

しかし、実際にはそんなシンプル生活は社会人生活では難しく、ラポールという手法を習わなくても相手に合わせる、少し似せるということは、すでに活用してきていた私であった。
仕事を効率的に回す為に相手の波長に合わせるよう努力すると、相手が思ったように動いてくれる可能性が高くなり、それはNLPを学ぶ前から経験により必然的に実行していた。
多くの人は意識して相手に合わせる、ラポールという相手を真似ている状態を多かれ少なかれ既に実行してきたのではないだろうか。

意識して行うラポールという手法。
無意識に必然的に実行できる状態になるまで、何かをつかめるまで、仕事においては使ってみてもいいのかもしれない。

本当に信頼を得るためにするべきことは何なのか?
相互の信頼という面において、両岸から施工される橋のような関係が望ましく、もろく崩れ落ちないように、まずは自分自身の屋台骨をしっかり築き、折れない心の強さを身に付けることが必要かもしれない。
小さい頃からの教育が、患者のいない世界を作るのかもしれない。


2016年12月3日土曜日

目標や夢は人に言わない方がうまくいく? NLPの目標設定モデルは無意味?

NLPのセミナーでは決まって今日の目標や、今後の目標を考えて人に宣言する!という時間がある。
あの手この手で少し方法や名称が違うが目標を宣言するワークはとても多い。
実は周りで聞き役となる人にとっては、宣言した人に対して褒めたり、励ましたり、応援したりしなければいけないワークなのだ。


もんもんとしてきた。
言いたくない、めんどくさい。

こんなチャンスは滅多にない。
雲海は条件がそろわないと見ることはかなわないのだ。


調べてみると、かなり以前より 目標を人に宣言すると実現しない可能性が高くなる が、宣言した本人の満足感は高まるという実験結果がでていたようだ。
これが、NLPの目標設定の為のワークの満足度が高い理由なのだろう。
しかし、夢を見ることはできるが、条件がそろわないとかなわないのだ。

私は幼稚園の時、夢を書こうという時間があり、その時「くだらない」というようなことをめちゃくちゃ思った。
なんて夢のない幼稚園生だったのだろう。
夢・私なかったんですけど?幼稚園生ながら空気よんで現実的そうな適当な嘘を書いておいた!
幼稚園生に嘘をつかせる教えなんて、ほんと大人に教えてもろくなことないと思った。
今思うと、それはまったくその通りで、本当に重要なミッション、目標は人に言わない方がうまくいくという定説を幼稚園生ながら無意識に理解していたのかもしれない。
 人に言った時点でそれはかなわぬ夢となる可能性の方が高まるのだろうし。
その強烈な幼稚園生の時の思いはNLPを学んだことでより鮮明になった。

NLPでは目標を設定する時間が多すぎる。
この経験は人生の内緒のミッションの成功の為に重要な初等教育だった。
よって、NLPセミナーで教えられる目標設定の為の講義は「くだらない?」

NLPで目標設定する時間の本当の意味は、宣言することで 支持し助けてくれる人を募ること にあるのかもしれない。
重ねていうが、実際には達成されない、ついえる夢となる可能性が高まるようだ。
もちろん、支援したいと思える人であることも重要だ。


これは、政治家であれば政策目標であり、企業であれば経営目標となる。
政治家は市民から、企業は株主や従業員からの支持を(一瞬でもいいから)受ける為に。
目標達成には市民や株主や従業員の協力を取り付けなければならない。
この目標を達成しなければいけないという使命は、社畜を産み、多くの人の品性を低下させ、精神を疲弊させるのではないだろうか。
その為、立てられた目標はさまざまな解釈によって変えられたり、達成の度合いは軽視され、達成不要となることが多い。
よって、適切な現実的な目標設定が必要である。

そして、影響力のある支援者を募ること がビジネスにとって最重要である。
NLPはアメリカでは政治家や企業のリーダーシップトレーニング、パフォーマンス力の向上のツールとしてセミナー運営会社が活用しているようだ。
支援を募る為には、パフォーマンス力と一定のレベル以上である必要はあるだろう。

初等教育の時点で、ある一定のレベルに達していれば、目標設定を他人が強要しなくても成功するものは多いだろう。
個々の中での目標はあったとしても、人前で発表させることは目標達成をしづらくする。
ただ、最近はこういったセミナーの影響なのか部下のマネジメントという観点から目標を立てさせるという時間があったりする。
評価も目標設定から達成の度合いが重要な要素を占めてしまう会社もある。
部下としては、その目標設定いらなくね?と思っていた。
ある程度までいくと、自分との戦いになるだけである。
そういう時、立てた目標なんてほとんど関係なくなった。

「一日一食にしよう!」とか、自分一人だけで達成できるような現実的な目標設定ならいいかもしれないが、一人で達成できないような目標は人に言わない方がいい。
また、自分で決めた主観的な目標よりも、他人に求められる客観的な目標の方が人は 使命感や必要性 を強く感じ達成出来るかもしれない。
医者に「たばこを辞めないなら、手術しない。」と言われると、どんなに目標として頑張ってみても成功しなかった禁煙が成功するように。

また、 サイバネティックス についての投稿で紹介しているように、目標は無意識に達成されることが望ましく、一瞬の直感の連続を繰り返すことが目標達成の秘訣という考えもある。

これからは、客観的な現実的な目標を指示してくれる、支援者を募れるようなパフォーマンスの練習場としてセミナーを活用しよう。
そして、達成力を高める為に 本当に大切な目標は秘密 にしよう。

TED 2010.7 目標を自分に保つ


https://www.ted.com/talks/derek_sivers_keep_your_goals_to_yourself?utm_campaign=tedspread&utm_medium=referral&utm_source=tedcomshare

2016年11月10日木曜日

超☆能力があれば相手の心が読める NLPのキャリブレーションは誤訳?

心理状態の変化と訳したのは拡大解釈?誤訳?であり、正しくは「あなたの非常に鋭い感覚を使用して、他の人に発生する瞬間の変化に気付く能力」≒観察力である。

ある講師にとある部分を突っ込んだところ、「あ~、NLPを最初に訳した人達は、NLPのことをよく分かっていなかったみたいよ~」とのこと。

また、NLPのラポールの意味 相手を真似ている状態≒共感≒調和した関係 で書いたように、英語もよく分かっていなかったようだ。
だったら、修正すればいいのに!と思うが、何か問題があるのだろう。

NLPのトレーニング中で、私はキャリブレーションについて調べることになった。
ネットの内容はだめだけど、本の内容は参考にしていいとのことだったので、ABNLPのタッド・ジェームス氏のタイムラインセラピーの翻訳書を手に取る。
キャリブレーションについて触れている本はあまりなかったが、この本には用語集があった。
アマゾンの評価で訳が全然違うと書かれていたのが心配で、原著をお持ちの方に確認してみた。

結果、訳は拡大解釈であった。

心理学,NLP原著の用語集

Calibrate:The ability to notice changes, which occur from moment to moment in another person, using your sensory acuity.

意訳すると、「あなたの感覚の鋭敏さを使用して、他の人に発生する瞬間の変化に気付く能力」である。

また、sensory acuityも実はNLP用語であり、直訳すると「感覚視力」だった。
Sensory acuity:Having very acute levels of sensory perception.
意訳すると、「非常に鋭い感覚知覚を持っている」ということだ。



日本語訳
キャリブレーション:自らの感覚的鋭敏さを活用し刻一刻と変化する相手の心理状態を正確に見極める能力

ここで分かることは、日本語訳ではなぜか心理状態と断言してしまっていることである。
この翻訳書の出版日は私にとって考え深いものであり、メッセージ性を感じる。
何かの声や数字は、何かを暗に伝えるメッセージだったのかもしれない。


しかし当然ながら、原著や著者によると、心理状態は推測でしかなくキャリブレーションとは違う と考え教えている。
読心術って、☆超☆能力とかっていう最先端科学技術がないと無理。
ほとんどは、これまでの培った自分の経験からくる気づかいや勘違いを含めた推察力だろう。
NLPのキャリブレーションは、前後の違いを他人が比べられる、心理状態以外の知覚可能な変化に気づく力のことである。

英語から考えて、どんどん変わってしまう視覚化可能な身体的変化と言った方があっている可能性は高い。
物事の状態や変化を客観的に注意深く見ること。=観察 であるので、やはり観察力というのが日本語としては相応しいと思われるが、実際に聴覚的なものも前後の変化に気づくことが推測ではなくできるので、心理状態を省いて伝えるのであればセーフであろう。

一言でいうならここでいうNLPのキャリブレーション≒観察力であり推察力ではない。
「あっ、今眉毛が1ミリくらい上に動いた」みたいな。
観察眼と捉えた方がいいような気もするが、、、

鋭い観察力=keen powers of observation
であるので、ビジネスや日常でキャリブレーションを観察力と同義語だと思って話さないようにしたほうがよい。

射程距離を測定する、(銃の)口径を測定する、較正する=Calibrate
である。
原著ではCalibrateだが、日本語訳ではCalibrationになっている。
精密機器、銃とかの正確な測定に関する言葉かも?

おそらくこのNLP用語を最初に作成した人は、銃が好きな欧米人だったのだろう。
NLPを人に教えるところまで理解しようと部分的にスポットを当てて調べていくと、こういう気づきは多いのかもしれない。

また、NLPの団体によって教え方や定義は違い、教えやすいように作った用語、造語である以上、それが分かるNLP関係者の中でだけ使う言葉として捉えていきたいところだ。
NLPではなくビジネスコミュニケーションとして教えている団体もある。
ビジネス用語として会社で使っている上司がいたが、思わずつっこみたくなってしまった。
会社では、極力日本語を使おう!

NLPに限らず他国のものを日本語に訳したものには誤訳や拡大解釈がつきものであり、本に至ってはその翻訳家の腕にかかわらず、出版社とバックの思惑が重なって原著と全然違うことがある。

ある翻訳家によると、本が売れる為には!ということやその内容を売る為には!とかを考えて翻訳していると言っている。

決められたページ数の中に内容を押し込む為には、なんとかして纏めなければならない。
英語を日本語に訳すと日本語の方が文字量が多くなってしまう為、重要な部分の意味が変わってしまうような端折りをすることもあるようだ。

出来れば原著と翻訳書を比較して読むことをおすすめする。
英語が分からない場合、スキャン翻訳アプリを利用するのもよい。
出来なければ翻訳された外国の書物などは、原著との違いがあることを十分理解した上で読み進めていこう。


2016年9月5日月曜日

メラビアンの法則はいつ社内・ビジネス研修から消えるのか?

正しい認識がネット上にあふれているのに、いっこうに消えていかないこの法則。
最近でも、もっぱら社内研修やビジネスセミナーで使われている。
転職が多いのがばれる・・・が、業界最大手も含めて少なくとも4社でこれを教えていた。

ビジネスセミナーでは若干、正しい認識の方が優先されはじめ、使われなくなってきたかもしれないが、社内研修ではまだまだ健在である。
企業の研修担当は、昔のコミュニケーションに関わるNLPなどのセミナーの知識をそのまま更新せずに使い続けているからだろう。


この法則、完全に誤用である。

接客業や電話応対などの研修において、第一印象は7秒で決まるとか言ってしまっているが、これは事前にそう思い込まされたことによる人の思い込みを利用した、この法則を売る為の言葉である。
今一度、自分の周りの知人やお客様への第一印象がいつ決まったのかを思い返して欲しい。
ほとんどの場合、最初の7秒なんて覚えていないのではないだろうか?

「終わりよければすべてよし。」というように、私の接客経験から最初怒っていたとしても、1時間話して帰り際に笑っていればOKである。
ビジネスでの体験から、人の重要な印象はその人に関わった最後の方が重要だと思う。

NLPを教える講師は、これが誤用であることが分かっていてもこの内容が生徒を納得させるのに有効である為に使い続けている人たちもいる。
間違いが分かっていても、間違いであることを伝えない。

なぜそうなるのか?
ひとえに、NLPとはそういうものだから・・・
生徒に信じ込ませることができればOKな考えだからである。
NLPは今では科学的ではない疑似科学ということが一般的になっている。
今では違うと分かっていることが多い。

論文,本,恋愛,非言語コミュニケーションなぜ、世の中の真実ではないと分かっているのに、間違いを教えるのか?
みんなが教えてくれない「NLPの前提」の本当の意味 にもあるとおり、生徒にそう信じて欲しいからである。

アルバート・メラビアンの法則、この法則が日本に入ってきたのはいったいいつだろう?
どうやら、有名な人が誤用として広めてしまったらしい。

実際の実験では、写真と音声を使った単調な実験であったよう。
当のアルバートさん本人も、通常のコミュニケーションにおいては使えないと発言しているようだ。
このことをとあるNLPのトレーニング中に活用しようとしたら、教えている内容に誤用があるから使うなと止められたようだ。


知らない人の写真を見て、同時に音声を聞いて、被験者がその時どう思ったか、というものらしい。
他の情報はない。
相反する2つの情報を被験者が受け取った時に、どう受け止めるか、支持するかという単調な実験らしい。
「怒っている表情」の写真を見ながら、「怒ってないよ」という音声を聞くというようこと。
実際のコミュニケーションにおいて、初対面であれば表情を支持することはありえるが、その人の普段の顔が怒り顔だったり、その人に最近起こった出来事などを知っていれば本当に怒っていないという言葉を支持することになる可能性がある。

確かに、こんな単調な実験だったとしたら、言語は7%になるかもしれない。
この%の数字も、考えてみると好きな数字を並べただけなんじゃないかなと思える。
「7」って、好きな人多いし。
「7-38-55」
覚えやすい好まれる数字であった、というのも広まった要因かも知れない。
新聞の見出しに出たら、思わず見てしまう数字だ。

たまにNLPの内容がTVで登場することがある。
都合よく編集され、世の真実、実際のNLPの教えはどこにいったのか、、、横道をそれて放送される。
その方が分かりやすいと感じる人が多いからのようだ。
そして、NLPを知らない人はTVで放送された情報を鵜呑みにして人に伝えてしまうことがある。

よくネットを信じられるとこまるNLP講師は、ネットは嘘ばかりという。
恐らく、そういう講師の作るHPには、なんらかのカラクリがあるのだろう。

ネットは嘘もあるし真実である部分もある。
それは、TVも本も伝聞もネットも同じことだと思う。

今、必要なのは、それを 見分けられる 経験と検索力なのかもしれない。

2016年8月3日水曜日

みんなが教えてくれない「NLPの前提」の本当の意味

NLPには、「NLPの前提」というものがある。

日本語の用語集を見ると、「必ずしも真実でない、生徒に受け入れられ、信じてくれると、NLPのプラクティショナーとしての成果を向上させることができる想定や便利なビリーフ(普遍的な価値感)。」と書いてある。

教える側からすると、「NLPの前提」を信じてくれると講師は助かる。
教わる側も、何かいいことあるかもしれない。

ビリーフは直訳すると、信念、信じること、思い込み。


ABNLPのタッド・ジェームス氏の原著を見ると、NLPでのビリーフはNLP用語であり、私なりに意訳すると 世界中で 普遍的に信じられているもの、価値観のようなものだと思う。

道徳や善悪の一般的な考えなど、世界中の多くの人に信じられていることを指すようだ。

しかし、必ずしも真実ではない想定とは、、、

もちろん日本人講師はそんなことセミナー中には言ってくれない。
言ってくれてたら、すばらしい。

分かっている人と分かっていない人とだと、会話が大変である。


プラスマイナス=0
生徒にこの印象を与えてしまうと意味がない。
生徒を混乱させ、NLPは結局なにも意味がないと思わせてしまう。

NLPは科学的である、しかし、今では科学的でない部分が多いと分かっている。
NLPは役にたつ、しかし、使い方を間違えると逆効果である。
NLPをほんとうに知っている人にあう時は、そのまま素の方がいいことが多い。

初めてNLPを学ぶ人に、このようなほんとうのことを、伝えたらどうだろうか。

教えたい情報にマイナスの情報(正しい情報)をつけると生徒は結局意味ないじゃんと思って帰っていく。
矛盾した情報を与えると生徒は混乱する。
それでは、講師は困る。
その為、正しい矛盾した情報はわざと与えない。
教えた情報、プラスの情報のみ、メリットのみを与える。
生徒はその方が、聞きやすく、分かりやすいと感じるようである。

アマゾンや楽天などで、商品の口コミを見ないで買う人はいるだろうか。
いるだろうが、私は見てから買う。
メリットとデメリット両方読みたい。
時々、いいデメリットの紹介だと思うものが時間がたつと消されていたりすることに気が付く。
商品のデメリットは説明書の最後にちょこっとだけ書かれていたりする。
商品を売る側の気持ちを考えてみよう。

講師としては、セミナー中に生徒が困った質問をすること(NLPって役にたたないんじゃない?とか)や、非協力的な状況(ワークは生徒が協力してくれないと成り立たない。)を抑制しておきたい。
すばらしいことに、日本ではそんな揚げ足をとるような生徒は、空気を読んであまりいない。
海外ではそうはいかない。
そういう時に、「NLPの前提」や生徒にあらかじめ約束させる規約は重要である。

やはり、NLPの考え方は、キリスト教から来ているのだろうか。
世界で一番のベストセラー本は聖書と考える人もいる。
西洋人にとっての馴染みある指南書である。
講師は牧師・宣教師ともいえるだろうか。
有名な人生の指南書である「7つの習慣」、実はこれもキリスト教の一派の聖書が元のようである。
今では、現在伝えられているキリスト教の教えをそのまま受け取る人は、なかなかいないだろう。
原始の宗教はかなり変更がされ、一部の人たちによって、都合よく改ざんされてきたからである。
確かに、信じることで救われることはある。
聖書に書かれている内容がすべて改ざんされたとは思っていない。

現在のキリスト教は金儲け主義に走っているように私には思える。
NLPも金儲けの手段として使われているように私には思える。

「NLPの前提」や教えをすべて世の真実と思っている人がいるのはなぜなのか?
ひとえに、NLPはそういうものだからである。
願わくば、そういう前提があることを知ってからお話ししたいものである。
現在は、プレゼンテーション方法を教える場として活用されているようだ。