2017年10月11日水曜日

ヴィパッサナー瞑想 in 幡ヶ谷 2回目 瞑想/迷走/妄想は紙一重

ウィセッタ長老の瞑想会に行きたくて行ってみた。
直接指導があり、通訳さんもいるということだったが、通訳さんの通訳を理解するには時間がかかった。

歩く瞑想中、直接指導を受けたい人は順番に呼ばれる。
私はマジカルアイ(3D)を見れるようになってから、気が付いたら丹光(瞼の裏にうつる光)が見えるようになっていた。
このことについて質問をしたかったのだ。

時とともに、丹光の見え方が変わったことについて聞いてみた。
ウィセッタ長老が実際に何を伝えたかったかは分からないが、通訳さんはこれは妄想だと何度も連呼。
妄想?あれ?
そう思うも、いくつかの質問をしてなんとか理解できたことがある。
私が丹光として見ているととらえる映像は妄想。
そして、その妄想をよく見ることが必要
姿勢を正し、おなかの感覚を得てまたおいで、とのことだった。
どこでその感覚を得て見えるようになったのか聞かれ、速読セミナー中と答えておいた。

通訳さんが言う妄想というのは何なんだろう
日本人がイメージするイメージ=心の中で描く情景のこと?

古語辞典を紐解くと、妄想とは=正しくない考え。邪念。
ここから転じて、今の日本人の多くが想像する妄想という言葉の意味に広がっていったはずである。
しかし、通訳さんの日本語の知識と通訳にはいささか疑問があり、日本語が繋がらないのである。
何言ってるか、分からない。。。
「これは妄想です」というフレーズ。
そこは意味が分かった通訳?だったのである。

とりあえず、妄想をよくみよう。
考えてみよう。
調べてみよう。