会社の取締役や役員になると、日本では過去にあった会社で今はもう潰れていたとしても20年間履歴から消せない。
始めにその人の話すごいね~と思って聞いた。
そのうち、いろいろ耳にしネットでも目にするようになる。
それを、確定させるものはなんだろう。
決定的な文書としての証拠だろう。
法務局に行ってみることをオススメする。
私が行ったNLP団体の職員の数人は潜在意識・能力開発に関してその業界では有名?な会社の元職員だった。
株式会社エス・エス・アイ(SSI)。
その人たちが最終的に売っていたものが分かった時、呆れるばかりである。
ある知り合いは、勧誘がしつこく引かない販売方法で、一番安い速聴機のカセットを買うことになってしまったらしい。
マルチ商法的な強引な勧誘で訴えられ、会社を潰しかけたということは本当かもしれない。
時の裁判記録を調べれば分かるだろう。
時に、今では日本でかなり有名な孫正義さん。
ソフトバンクの社長だが、今から10数年前、始めは強引な野外の引き渡し販売を行っていた。
路上でインターネットのモデムを「持って帰って」って渡して契約にする。
ある一定の年齢以上で、都会にいたら見たことある人もいるだろう。
苦情は大量にあり、裁判ざたも多数。
かなり負けまくって赤字だらけだったろう。
この2つの会社には共通点があった。
同じ新宿のビル、新宿住友ビル(三角ビル)に会社のオフィスを構えていた。
同じ低層階らへんに。
時の営業マン達は営業しに行ったのだろう。
会社のメイン支援団体は主要取引先から読み解くことが出来る。
2018年時点で書かれている株式会社ソフトバンクはソフトバンク株式会社のことかな?
そういえば、NLP体験セミナーで代表は孫さんからも応援して貰ってます~というようなことを言っていた。
多くは前の会社の時からのツテだろう。
代表が出演したラジオ放送より、親族の紹介、コネクションで前の会社に入っており、現在の会社も親族の事業と似通っている。
そんなことは、セミナーに来るお客様には言えないのだろう。
言いたいことは、元から耕された土壌があったということだ。
何を植えるかは心がけ次第だったのだ。
なぜ、こんなことをネットに書くのか?
私が、NLPを学びにいく上で参考になったのはこういった目線からくるネットの情報だったからだ。
もちろん、その時にもっと調べてNLPにお金を落としに行かなきゃよかったじゃん!と思われるかもしれないが、これは行った後、それはなぜだったのか?を知るきっかけにして欲しいということで書いている。
実際に、デメリットの情報をいっぱい見てもNLPを学びに行った私である。
ネットで書いてあることが本当のことなのかって、潜入しないと分からないことあるでしょ?
私は、そういう気質が多く、冒険好きだったのだ。
冒険には色んなキャラクターがいないとね。
行った結果、ネットに書かれていることは本当のことだと思えた。
ただ、こういう調査は余裕資金で行うことが重要だ。
投資先のことを調査し、本当に継続的に投資する価値があるのか調べないと、ただの紙切れ(今は紙じゃないけど)になっちゃうね。
なかなか難しいが、見切り、損切りは重要かもしれない。
成功する為に必要なことは何なのか?を考え直すことは必要かもしれない。
NLPは海外での認識がそうであったように、楽しく伝えるパフォーマンス力を上げる方法を学びに行くところ、という認識に今よりもなっていくかもしれない。
2016年1月8日金曜日
なぜ海外講師を呼べるのか? NLPは〇〇を見つける社交場だったのだ
参考になったのは、この動画。
理由は意外と簡単だった。
海外講師を呼べる方法を呼んでいる人に聞いたそうだ。
ただ、誰に聞いたかは明かされなかった。
方法は、出来る通訳を雇うことと、講師をもてなし日本の観光案内をすることらしい。
そして、アプローチの方法があるのだろう。
こちらの会社の売り上げがあがり、抜きんでたのは海外講師を呼べたからであるようだ。
その中でも、とある講師の講義を無料特典としたこと。
これが一番だったよう。
やはり、講師への待遇、おもてなしということなのだろう。
しかし、この動画からいろいろな面で、それはなぜだったのか?ということが分かり、NLPって意味あるのかな?とひしひしと感じた動画だった。
NLPまとめ
理由は意外と簡単だった。
海外講師を呼べる方法を呼んでいる人に聞いたそうだ。
ただ、誰に聞いたかは明かされなかった。
方法は、出来る通訳を雇うことと、講師をもてなし日本の観光案内をすることらしい。
そして、アプローチの方法があるのだろう。
こちらの会社の売り上げがあがり、抜きんでたのは海外講師を呼べたからであるようだ。
その中でも、とある講師の講義を無料特典としたこと。
これが一番だったよう。
やはり、講師への待遇、おもてなしということなのだろう。
しかし、この動画からいろいろな面で、それはなぜだったのか?ということが分かり、NLPって意味あるのかな?とひしひしと感じた動画だった。
NLPまとめ
2016年1月4日月曜日
シンクロニシティという会社 NLPセミナーに行って分ったこと
多くの現在の社長達は戦後2世であることが多い。
親の影を背負いたくない子供達は、親が同じような業種に携わっていたことを隠しているのだろうか。
分ったことは、やっぱりコネと親族は重要だということだ。
親の影を背負いたくない子供達は、親が同じような業種に携わっていたことを隠しているのだろうか。
こんなことを聞いたことがある。
経営コンサルタントである神田昌典さんは親が教育に携わる制服を売るお店を経営しており、教育への貢献のために留学生を多くホームステイさせていたということ。
とあるセミナーで本人が発信した情報である。
親はきっと、英語がその当時から喋れたインテリ?だったのだろうと私は思う。
本人も、学歴からインテリと分かる。
本人も、学歴からインテリと分かる。
少し業種が違うが、教育に携わるという面では2世社長だろう。
親の意思を継いでアジア人への教育を推し進めたいようだ。
このくらいの少しずれた戦後2世がNLPの会社の代表だったと思う。
親族の直接の事業を継いでいないのだろうか。
親族はシンクロニシティという会社を40年以上前から経営していたのだろうか。
同じようななんらかの教育題材を制作・販売する会社だったのだろうか。
このことを多くの人は知るべきである。
法務局へ行けば、誰でも簡単に知れる公開情報である。
そこには、この会社が設立された年度や事業内容などが記載されている。
それを知らない人は、1代で一から成し遂げたと思い込むかもしれない。
そもそも、本人が発信したラジオの放送より、成績を爆発的に上げた会社エスエスアイは親族の紹介で、コネクションで入った親族と繋がりがある会社である。
シンクロニシティとは、ユングが提唱した概念で「意味のある偶然の一致」を指し、日本語では「共時性」などと訳されるようだ。
おそらく設立時から潜在能力開発、心理学の一端に携わる会社であったのだろう。
この社名を選んだ方に、その時どんなシンクロニシティが生まれたのだろうか。
おそらく設立時から潜在能力開発、心理学の一端に携わる会社であったのだろう。
この社名を選んだ方に、その時どんなシンクロニシティが生まれたのだろうか。
分ったことは、やっぱりコネと親族は重要だということだ。
2016年1月1日金曜日
ネコからのお告げ シンクロニシティ in 来間島
みなさん、旅行は好きですか?
日本の離島に、来間島というところがあります。
沖縄の宮古島から来間大橋を渡ってゆく、小さな神秘的?な隠れたパワ―スポット島。
海沿いの道を原付で走っていた。
海岸へ行こう♪
海岸にでる横道に入る。
長間浜の隣くらいだったか・・・
少し林が見えて来た。
道が細くなり下り坂になってきた。
よく見なかったけど、砂の道だった。
まだまだ、走れると思っていた。
原付を降りたくない私は、そのまま突き進んだ。
・・・そして突き落ちた。
ガコっ
ん?砂に埋もれた?
危険を察知した私は、試しにアクセルをかけてみた。
ブルん、ブルん
さらに埋もれた。
ブルん、ブルん
アクセルをかけるとそれはそれはきれいに砂浜の砂が舞う。
原付で砂浜に抜ける細い坂道を下ってしまった。
砂浜にはアダンの木があって、アダンがバックにいらっしゃる。
アクセルかけて進めるわけがなかった。
こういうときって開き直るのだ。
なんとかなる!
日が暮れそうになったら、原付をおいて助けを呼ぶしかない!!
そこは、素晴らしい誰もいない貸切のきれいな砂浜だったのだ。
一体どれだけの時が立ったのだろう。
遠〜くから、4、5人、しかもお兄さんたちが歩いて来るのが見えてきた。
じーっとお兄さんたちを見つめる私。
助けて!!オーマイゴー!
これっ、心の声。
通じた!
助けてオーラ全開だったのだろう。
それともお兄さんたちの見る目がよかったのか。
「大丈夫ですか~?」とお兄さん。
そんなわけない。
原付さんは、押し上げられたのだ。
みなさん、フカフカな砂浜では原付は走れませんでした!
気をつけましょ!!
助かった~と思いながら来間大橋を渡り、宮古島に戻り橋のそばのトイレに立ち寄る。
トイレを出た私を出迎えてくれる小さな珍客がそこにいた。
どうしよう。
降りてくれないにゃい・・・(´・ω・`)
なにか、あるのかにゃ?
そういえば、島の物は持ち帰らない!という話を聞いたな~。
よく見ると原付には、来間島の砂浜の砂がびっちり。
かるくはたく位じゃだめだったかな?
これは、もう一度来間島に戻って、原付さんをきれいにしてから帰らねば!そう思ったら・・・
あれっ、ネコが降りた・・・
不思議だ。
行ってくるね~、ネコにゃん。
ということで、来間大橋を渡り再び来間島へ~。
来間島へ行くと、最初にあるスポットはタコさん。
歩きか原付などでしか行けないような、細い坂道を登っていくと、大きいタコのモニュメントがある。
そこで、私はせっせと砂を落とす。
もうこれでいっかな?
そんな折、一台の車が現れる。
は?こんなところに車で来たの?
ここはタコさんモニュメントがある、高台から宮古島と橋を見に来る場所。
狭い細い坂道の先はモニュメントしかない狭い公園。
車がUターンするような場所はあるかな???
ちょっとふみはずすと崖だよ?
無謀だ!!!
その車にはお兄さんが一人乗っていた。
どうやら、このモニュメントまで辿りつくために、レンタカーにボコっとしたへこみまで作ってしまったようである。
助けて欲しかったらしい。
私は狭い公園の中で車のUターンを補助し、お尻のちょっと痛い車さんを見送った。
「数万請求されちゃうかな?」とお兄さん。
恐らく、よほどのことがない限り・・・
しかし、こんな場所に車はダメだろ!
ほとんど、観光客がいない場所で私がそこに戻る偶然がなかったら、お兄さんは大丈夫だったのだろうか。
なんだか、ごく最近こんなことあったな・・・
見送った後、また来間大橋を渡る。
先ほどと違ってもう日が落ちており、ライトアップされていた。
またトイレに行ってみた。
ネコの姿はどこにもなかった。
助けられて、助けて、 プラスマイナス0の日 と名付けた。
ネコが運んだシンクロニシティ。
意味のある偶然の一致?共時性?
ネコ様からのご指令か?
ちょっと助けて貰ったんだから、同じような人を助けなさいってことなのか?
まるで人生の縮図?
ネコの不思議。
人生は、この日のようにプラスマイナス0になるのかもしれない。
こんなシンクロが起きまくる宮古島周辺は、ほんとうにパワースポットだらけ。
気づかぬところで調整された世界を私たちは生きているのだろう。
このネコとの出会いは、私にとって記憶と記録に残る最初のシンクロニシティとなったのだった。
日本の離島に、来間島というところがあります。
沖縄の宮古島から来間大橋を渡ってゆく、小さな神秘的?な隠れたパワ―スポット島。
海沿いの道を原付で走っていた。
海岸へ行こう♪
海岸にでる横道に入る。
長間浜の隣くらいだったか・・・
少し林が見えて来た。
道が細くなり下り坂になってきた。
よく見なかったけど、砂の道だった。
まだまだ、走れると思っていた。
原付を降りたくない私は、そのまま突き進んだ。
・・・そして突き落ちた。
ガコっ
ん?砂に埋もれた?
危険を察知した私は、試しにアクセルをかけてみた。
ブルん、ブルん
さらに埋もれた。
おしりが埋もれすぎて、バックが出来ない!
坂道だし、さらに食い込んだ。
そして、閃いた!
砂浜の先って、波が寄せてくるところって平らで黒いから、かたそう、Uターン出来そう。
我ながら良案だった。
原付を前に押してみた。
ズボっ
無謀だった。
さらに深みにはいる。
坂道だし、さらに食い込んだ。
そして、閃いた!
砂浜の先って、波が寄せてくるところって平らで黒いから、かたそう、Uターン出来そう。
我ながら良案だった。
原付を前に押してみた。
ズボっ
無謀だった。
さらに深みにはいる。
原付押す、動かない。
私、アクセルかける。
私、アクセルかける。
アクセルをかけるとそれはそれはきれいに砂浜の砂が舞う。
原付で砂浜に抜ける細い坂道を下ってしまった。
砂浜にはアダンの木があって、アダンがバックにいらっしゃる。
アクセルかけて進めるわけがなかった。
こういうときって開き直るのだ。
なんとかなる!
日が暮れそうになったら、原付をおいて助けを呼ぶしかない!!
そこは、素晴らしい誰もいない貸切のきれいな砂浜だったのだ。
ぶわん、ぶわん
まるで、犬がここほれワンワンしているよう。
ボコっと穴をほり進めた。
1メートルも進んでない、しかも進んだ方向は海。
これぞ、八方プラス下方塞がり。
意味わかるかな?
原付は足をおくところまで、20センチくらい砂に埋もれている。
どうしよう、グスン、、、
原付に乗って黄昏る私。
なぜその時の埋もれた原付ではなく海を撮ってしまったのか。
悔やまれる。。。
まるで、犬がここほれワンワンしているよう。
ボコっと穴をほり進めた。
1メートルも進んでない、しかも進んだ方向は海。
これぞ、八方プラス下方塞がり。
意味わかるかな?
原付は足をおくところまで、20センチくらい砂に埋もれている。
どうしよう、グスン、、、
原付に乗って黄昏る私。
なぜその時の埋もれた原付ではなく海を撮ってしまったのか。
悔やまれる。。。
一体どれだけの時が立ったのだろう。
遠〜くから、4、5人、しかもお兄さんたちが歩いて来るのが見えてきた。
じーっとお兄さんたちを見つめる私。
助けて!!オーマイゴー!
これっ、心の声。
通じた!
助けてオーラ全開だったのだろう。
それともお兄さんたちの見る目がよかったのか。
「大丈夫ですか~?」とお兄さん。
そんなわけない。
原付さんは、押し上げられたのだ。
みなさん、フカフカな砂浜では原付は走れませんでした!
気をつけましょ!!
助かった~と思いながら来間大橋を渡り、宮古島に戻り橋のそばのトイレに立ち寄る。
トイレを出た私を出迎えてくれる小さな珍客がそこにいた。
原付をスリスリ♪
かわいいにゃ~。
ずっとスリスリしてる。
デジカメで写真を撮り始めてもスリスリ。
原付に乗って黄昏るネコ。
降りてくれないにゃい・・・(´・ω・`)
なにか、あるのかにゃ?
そういえば、島の物は持ち帰らない!という話を聞いたな~。
よく見ると原付には、来間島の砂浜の砂がびっちり。
かるくはたく位じゃだめだったかな?
これは、もう一度来間島に戻って、原付さんをきれいにしてから帰らねば!そう思ったら・・・
あれっ、ネコが降りた・・・
不思議だ。
行ってくるね~、ネコにゃん。
ということで、来間大橋を渡り再び来間島へ~。
来間島へ行くと、最初にあるスポットはタコさん。
歩きか原付などでしか行けないような、細い坂道を登っていくと、大きいタコのモニュメントがある。
そこで、私はせっせと砂を落とす。
もうこれでいっかな?
そんな折、一台の車が現れる。
は?こんなところに車で来たの?
ここはタコさんモニュメントがある、高台から宮古島と橋を見に来る場所。
狭い細い坂道の先はモニュメントしかない狭い公園。
車がUターンするような場所はあるかな???
ちょっとふみはずすと崖だよ?
無謀だ!!!
その車にはお兄さんが一人乗っていた。
どうやら、このモニュメントまで辿りつくために、レンタカーにボコっとしたへこみまで作ってしまったようである。
助けて欲しかったらしい。
私は狭い公園の中で車のUターンを補助し、お尻のちょっと痛い車さんを見送った。
「数万請求されちゃうかな?」とお兄さん。
恐らく、よほどのことがない限り・・・
しかし、こんな場所に車はダメだろ!
ほとんど、観光客がいない場所で私がそこに戻る偶然がなかったら、お兄さんは大丈夫だったのだろうか。
なんだか、ごく最近こんなことあったな・・・
見送った後、また来間大橋を渡る。
先ほどと違ってもう日が落ちており、ライトアップされていた。
またトイレに行ってみた。
ネコの姿はどこにもなかった。
助けられて、助けて、 プラスマイナス0の日 と名付けた。
ネコが運んだシンクロニシティ。
意味のある偶然の一致?共時性?
ネコ様からのご指令か?
まるで人生の縮図?
ネコの不思議。
人生は、この日のようにプラスマイナス0になるのかもしれない。
こんなシンクロが起きまくる宮古島周辺は、ほんとうにパワースポットだらけ。
気づかぬところで調整された世界を私たちは生きているのだろう。
このネコとの出会いは、私にとって記憶と記録に残る最初のシンクロニシティとなったのだった。
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