NLP(神経言語プログラミング)を学ぶ上で必要な日本語の教科書だが、欧米との認識の相違が多く、原著やEnglish.Wikipedia、実際のトレーニングを受けたことを総合的に判断し、紹介することにした。
日本で一番大きいNLPの会社はタッド・ジェームス氏のABNLPを採用しており、そこから派生した会社も多い。
また、採用した理由として、TAD JAMES CO.の教え方はきちんと現在NLPがおかれている状況、事実に即して教えている部分が多かったからだそうだ。
欧米ではNLPは数十年前から科学的根拠がない疑似科学であるとされ、パフォーマンス力を高める方法として採用されていた。
しかし、日本ではそんなABNLPの商号を使っていてもタッド・ジェームス氏の考え方などはあまり採用されていない。
最終的に学んだ人が、なぜなのか?を理解できるきっかけになれば。
2016年12月31日土曜日
2016年12月17日土曜日
なんで橋を架けるなの? ラポール=相手を真似ている状態≒共感≒調和した関係
ラポールとはなんだろうか?
面白かったのは、通訳さんの訳である。
「ラポールは相手から信頼を得るための方法になる。」
そう訳していた。
私がとある所で学んだラポールは、相手を真似ている状態 である。
ミラーリングやペーシングといった方法を用いて意識的に相手を真似ている状態。
また、English.Wikipediaさんによれば、empathy=共感という日本語が相応しいようだ。
多くのNLPを学んだことがある日本人は信頼関係と答えるのかもしれない。
それが、違うかもしれないと考える人はどのくらいいたのだろう。
私は、考えた人だった。
ラポール=信頼関係?
とすると、「信頼関係は相手から信頼を得るための方法になる。」となる。
そして、NLPのすべてに言えることかもしれないが、「こうすると、こうなる可能性がある」という言葉が秘密裏に後にくる。
その人が、この教えを信じてくれれば。
その人が、本当に変わりたいと思うのであれば。
信じるものは救われる。
ただし、多くの体験談の中でこうもいえる。
「ラポールは相手から信頼を失う方法になる。」
なぜなら、相手が自分の真似をしているということが分かった時点で、嫌悪感を覚える人がいるからだ。
こういう手法があるということを知っておくことは今後の対人関係において有意義に働く側面がある。
まず、相手が自分と同じようなそぶりをしたと思ったら、なぜなのか?を考えるきっかけとなるかもしれない。
有利に働くかもしれないし、不利に働くかもしれない。
相手がラポール、相手を真似ている状態、という手法を使っているのかもしれないと思う=自分とは違うかもしれないと気づくということである。
演じて似せていないのに 自分と似ていると思った人に対して人は好意を寄せる。
自然に似ている状態が正常な状態だとすると、演じて似せている状態は少し不自然な状態だといえる。
ラポールの手法とは、仲の良い人たちは自然に似ているという考えに基づき、自分はあなたと同じだよ思わせ、相手からの好意を受けたい時に使うものである。
通常の自分の行動を中断し、相手に合わせて演じることである。
よって、自分が嫌いな人が、自分と同じ行動をわざととったと思った時、あなたはどう行動し、どう思うだろうか。
私は、逆の行動をとるかも知れない。
この人と同じは嫌だと思うかもしれない。
この人は、自分とは違うから、わざわざ私に合わせる為に、演技をしているのかと思うかもしれない。
ラポール、なぜか日本では「橋を架ける」と言われる。
フランス語だが、実際のフランス語の訳だとそんな意味にはならない。
昔、心理学用語として時の精神科医が 患者との 調和した関係 を指す言葉として生まれた。
また、English.Wikipediaさんによれば、building rapport≒調和した関係の構築≒共感 であり、信頼関係としてしまうのは拡大解釈ともいえる。
グーグル翻訳さんを見ると、誰か日本人?が書き換えた節が見える。
実際のフランス語は rapport=報告、関係、レポート である。
日本人に馴染み深いレポートだが、実際にフランス語の発音を聞くとラポールに聞こえる、というかむしろリンゴ?に聞こえる。
結論としては、「相手を真似ている状態≒共感≒調和した関係」は同義であると言える。
恐らく、多くの部分で最初に日本にNLPを運んだ人たち、ビジネスチャンスととらえた人たちは、英語の意味を理解できなかったのだろう。
橋の骨組みが脆すぎて、工事が延期されてきたのだろう。
骨組みは、その道のプロが崩れ落ちないように施工するものである。
もしくは、誤訳させたほうが、彼らの商売にはうまくいったのだろうか。
とあるブログで「海外でトレーナーズトレーニング(講師を育成する講義)を受けているが、英語で話す講師の言葉が理解できなかった。」というようなことが書かれていた。
講師に「意味が理解できているか?」と呼び出されたとも書かれていた。
話す速度が速かったのだろう。
トレーナーズトレーニングはかなりの早口で進められる。
そんな日本人たちが日本で広めていったのである。
誤訳は多いはずである。
恐らく、生徒は比喩をよく使うように指示される。
その講師は心理学で使われるラポールを説明する時に、このもやもやした目に見えない共感というもの、患者との調和状態を作りだすために、橋を架ける ように(相手を真似しよう)と言ったのではなかろうか。
日本語の信頼関係を考えてみよう。
信頼関係= 相互に 信頼できている関係である。
ラポールは、考えてみると片側から架けた橋である。
よく心理学では、自分の気持ちは外に出し、相手に共感の意を伝えることが重要とされる。
悪く言えば、見せかけるということであり、ラポールにこちら側の心の状態は関係ない。
架けた後の達成されたい輝かしい願望がある。
通常、橋は両側から施工され架けられていく。
ラポールという手法を用いて相手を真似する人は、相手のことを信頼しているだろうか。
多くの場合、好意をよせて欲しい異性だったり、お金を運んでくれる相手だったり、何かを得たい、好かれたい、信頼を得たいと思っている人に用いる。
相手からは信頼して欲しいと思っていたとして、自分はどうだろうか。
そして、演技をしていたこと、仮面をつけていたことがばれた時どうなるだろうか。
そのうち、そのままシンプルに本当に似ているもの同士、気が合うもの同士の自然な関係がよいということを実感することができるかもしれない。
しかし、実際にはそんなシンプル生活は社会人生活では難しく、ラポールという手法を習わなくても相手に合わせる、少し似せるということは、すでに活用してきていた私であった。
仕事を効率的に回す為に相手の波長に合わせるよう努力すると、相手が思ったように動いてくれる可能性が高くなり、それはNLPを学ぶ前から経験により必然的に実行していた。
多くの人は意識して相手に合わせる、ラポールという相手を真似ている状態を多かれ少なかれ既に実行してきたのではないだろうか。
意識して行うラポールという手法。
無意識に必然的に実行できる状態になるまで、何かをつかめるまで、仕事においては使ってみてもいいのかもしれない。
本当に信頼を得るためにするべきことは何なのか?
相互の信頼という面において、両岸から施工される橋のような関係が望ましく、もろく崩れ落ちないように、まずは自分自身の屋台骨をしっかり築き、折れない心の強さを身に付けることが必要かもしれない。
小さい頃からの教育が、患者のいない世界を作るのかもしれない。
面白かったのは、通訳さんの訳である。
「ラポールは相手から信頼を得るための方法になる。」
そう訳していた。
私がとある所で学んだラポールは、相手を真似ている状態 である。
ミラーリングやペーシングといった方法を用いて意識的に相手を真似ている状態。
また、English.Wikipediaさんによれば、empathy=共感という日本語が相応しいようだ。
多くのNLPを学んだことがある日本人は信頼関係と答えるのかもしれない。
それが、違うかもしれないと考える人はどのくらいいたのだろう。
私は、考えた人だった。
ラポール=信頼関係?
とすると、「信頼関係は相手から信頼を得るための方法になる。」となる。
そして、NLPのすべてに言えることかもしれないが、「こうすると、こうなる可能性がある」という言葉が秘密裏に後にくる。
その人が、この教えを信じてくれれば。
その人が、本当に変わりたいと思うのであれば。
信じるものは救われる。
ただし、多くの体験談の中でこうもいえる。
「ラポールは相手から信頼を失う方法になる。」
なぜなら、相手が自分の真似をしているということが分かった時点で、嫌悪感を覚える人がいるからだ。
こういう手法があるということを知っておくことは今後の対人関係において有意義に働く側面がある。
まず、相手が自分と同じようなそぶりをしたと思ったら、なぜなのか?を考えるきっかけとなるかもしれない。
有利に働くかもしれないし、不利に働くかもしれない。
相手がラポール、相手を真似ている状態、という手法を使っているのかもしれないと思う=自分とは違うかもしれないと気づくということである。
演じて似せていないのに 自分と似ていると思った人に対して人は好意を寄せる。
自然に似ている状態が正常な状態だとすると、演じて似せている状態は少し不自然な状態だといえる。
ラポールの手法とは、仲の良い人たちは自然に似ているという考えに基づき、自分はあなたと同じだよ思わせ、相手からの好意を受けたい時に使うものである。
通常の自分の行動を中断し、相手に合わせて演じることである。
よって、自分が嫌いな人が、自分と同じ行動をわざととったと思った時、あなたはどう行動し、どう思うだろうか。
私は、逆の行動をとるかも知れない。
この人と同じは嫌だと思うかもしれない。
この人は、自分とは違うから、わざわざ私に合わせる為に、演技をしているのかと思うかもしれない。
ラポール、なぜか日本では「橋を架ける」と言われる。
フランス語だが、実際のフランス語の訳だとそんな意味にはならない。
昔、心理学用語として時の精神科医が 患者との 調和した関係 を指す言葉として生まれた。
また、English.Wikipediaさんによれば、building rapport≒調和した関係の構築≒共感 であり、信頼関係としてしまうのは拡大解釈ともいえる。
グーグル翻訳さんを見ると、誰か日本人?が書き換えた節が見える。
実際のフランス語は rapport=報告、関係、レポート である。
日本人に馴染み深いレポートだが、実際にフランス語の発音を聞くとラポールに聞こえる、というかむしろリンゴ?に聞こえる。
結論としては、「相手を真似ている状態≒共感≒調和した関係」は同義であると言える。
恐らく、多くの部分で最初に日本にNLPを運んだ人たち、ビジネスチャンスととらえた人たちは、英語の意味を理解できなかったのだろう。
橋の骨組みが脆すぎて、工事が延期されてきたのだろう。
骨組みは、その道のプロが崩れ落ちないように施工するものである。
もしくは、誤訳させたほうが、彼らの商売にはうまくいったのだろうか。
とあるブログで「海外でトレーナーズトレーニング(講師を育成する講義)を受けているが、英語で話す講師の言葉が理解できなかった。」というようなことが書かれていた。
講師に「意味が理解できているか?」と呼び出されたとも書かれていた。
話す速度が速かったのだろう。
トレーナーズトレーニングはかなりの早口で進められる。
そんな日本人たちが日本で広めていったのである。
誤訳は多いはずである。
恐らく、生徒は比喩をよく使うように指示される。
その講師は心理学で使われるラポールを説明する時に、このもやもやした目に見えない共感というもの、患者との調和状態を作りだすために、橋を架ける ように(相手を真似しよう)と言ったのではなかろうか。
日本語の信頼関係を考えてみよう。
信頼関係= 相互に 信頼できている関係である。
ラポールは、考えてみると片側から架けた橋である。
よく心理学では、自分の気持ちは外に出し、相手に共感の意を伝えることが重要とされる。
悪く言えば、見せかけるということであり、ラポールにこちら側の心の状態は関係ない。
架けた後の達成されたい輝かしい願望がある。
通常、橋は両側から施工され架けられていく。
ラポールという手法を用いて相手を真似する人は、相手のことを信頼しているだろうか。
多くの場合、好意をよせて欲しい異性だったり、お金を運んでくれる相手だったり、何かを得たい、好かれたい、信頼を得たいと思っている人に用いる。
相手からは信頼して欲しいと思っていたとして、自分はどうだろうか。
そして、演技をしていたこと、仮面をつけていたことがばれた時どうなるだろうか。
そのうち、そのままシンプルに本当に似ているもの同士、気が合うもの同士の自然な関係がよいということを実感することができるかもしれない。
しかし、実際にはそんなシンプル生活は社会人生活では難しく、ラポールという手法を習わなくても相手に合わせる、少し似せるということは、すでに活用してきていた私であった。
仕事を効率的に回す為に相手の波長に合わせるよう努力すると、相手が思ったように動いてくれる可能性が高くなり、それはNLPを学ぶ前から経験により必然的に実行していた。
多くの人は意識して相手に合わせる、ラポールという相手を真似ている状態を多かれ少なかれ既に実行してきたのではないだろうか。
意識して行うラポールという手法。
無意識に必然的に実行できる状態になるまで、何かをつかめるまで、仕事においては使ってみてもいいのかもしれない。
本当に信頼を得るためにするべきことは何なのか?
相互の信頼という面において、両岸から施工される橋のような関係が望ましく、もろく崩れ落ちないように、まずは自分自身の屋台骨をしっかり築き、折れない心の強さを身に付けることが必要かもしれない。
小さい頃からの教育が、患者のいない世界を作るのかもしれない。
ラベル:
NLP,
NLPの欧米式取扱説明書,
キャリブレーション,
ビジネス
2016年12月3日土曜日
目標や夢は人に言わない方がうまくいく? NLPの目標設定モデルは無意味?
NLPのセミナーでは決まって今日の目標や、今後の目標を考えて人に宣言する!という時間がある。
あの手この手で少し方法や名称が違うが目標を宣言するワークはとても多い。
実は周りで聞き役となる人にとっては、宣言した人に対して褒めたり、励ましたり、応援したりしなければいけないワークなのだ。
もんもんとしてきた。
言いたくない、めんどくさい。
こんなチャンスは滅多にない。
雲海は条件がそろわないと見ることはかなわないのだ。
調べてみると、かなり以前より 目標を人に宣言すると実現しない可能性が高くなる が、宣言した本人の満足感は高まるという実験結果がでていたようだ。
これが、NLPの目標設定の為のワークの満足度が高い理由なのだろう。
しかし、夢を見ることはできるが、条件がそろわないとかなわないのだ。
私は幼稚園の時、夢を書こうという時間があり、その時「くだらない」というようなことをめちゃくちゃ思った。
なんて夢のない幼稚園生だったのだろう。
夢・私なかったんですけど?幼稚園生ながら空気よんで現実的そうな適当な嘘を書いておいた!
幼稚園生に嘘をつかせる教えなんて、ほんと大人に教えてもろくなことないと思った。
今思うと、それはまったくその通りで、本当に重要なミッション、目標は人に言わない方がうまくいくという定説を幼稚園生ながら無意識に理解していたのかもしれない。
人に言った時点でそれはかなわぬ夢となる可能性の方が高まるのだろうし。
その強烈な幼稚園生の時の思いはNLPを学んだことでより鮮明になった。
NLPでは目標を設定する時間が多すぎる。
この経験は人生の内緒のミッションの成功の為に重要な初等教育だった。
よって、NLPセミナーで教えられる目標設定の為の講義は「くだらない?」
NLPで目標設定する時間の本当の意味は、宣言することで 支持し助けてくれる人を募ること にあるのかもしれない。
重ねていうが、実際には達成されない、ついえる夢となる可能性が高まるようだ。
もちろん、支援したいと思える人であることも重要だ。
これは、政治家であれば政策目標であり、企業であれば経営目標となる。
政治家は市民から、企業は株主や従業員からの支持を(一瞬でもいいから)受ける為に。
目標達成には市民や株主や従業員の協力を取り付けなければならない。
この目標を達成しなければいけないという使命は、社畜を産み、多くの人の品性を低下させ、精神を疲弊させるのではないだろうか。
その為、立てられた目標はさまざまな解釈によって変えられたり、達成の度合いは軽視され、達成不要となることが多い。
よって、適切な現実的な目標設定が必要である。
そして、影響力のある支援者を募ること がビジネスにとって最重要である。
NLPはアメリカでは政治家や企業のリーダーシップトレーニング、パフォーマンス力の向上のツールとしてセミナー運営会社が活用しているようだ。
支援を募る為には、パフォーマンス力と一定のレベル以上である必要はあるだろう。
初等教育の時点で、ある一定のレベルに達していれば、目標設定を他人が強要しなくても成功するものは多いだろう。
個々の中での目標はあったとしても、人前で発表させることは目標達成をしづらくする。
ただ、最近はこういったセミナーの影響なのか部下のマネジメントという観点から目標を立てさせるという時間があったりする。
評価も目標設定から達成の度合いが重要な要素を占めてしまう会社もある。
部下としては、その目標設定いらなくね?と思っていた。
ある程度までいくと、自分との戦いになるだけである。
そういう時、立てた目標なんてほとんど関係なくなった。
「一日一食にしよう!」とか、自分一人だけで達成できるような現実的な目標設定ならいいかもしれないが、一人で達成できないような目標は人に言わない方がいい。
また、自分で決めた主観的な目標よりも、他人に求められる客観的な目標の方が人は 使命感や必要性 を強く感じ達成出来るかもしれない。
医者に「たばこを辞めないなら、手術しない。」と言われると、どんなに目標として頑張ってみても成功しなかった禁煙が成功するように。
また、 サイバネティックス についての投稿で紹介しているように、目標は無意識に達成されることが望ましく、一瞬の直感の連続を繰り返すことが目標達成の秘訣という考えもある。
これからは、客観的な現実的な目標を指示してくれる、支援者を募れるようなパフォーマンスの練習場としてセミナーを活用しよう。
そして、達成力を高める為に 本当に大切な目標は秘密 にしよう。
TED 2010.7 目標を自分に保つ
https://www.ted.com/talks/derek_sivers_keep_your_goals_to_yourself?utm_campaign=tedspread&utm_medium=referral&utm_source=tedcomshare
あの手この手で少し方法や名称が違うが目標を宣言するワークはとても多い。
実は周りで聞き役となる人にとっては、宣言した人に対して褒めたり、励ましたり、応援したりしなければいけないワークなのだ。
もんもんとしてきた。
言いたくない、めんどくさい。
こんなチャンスは滅多にない。
雲海は条件がそろわないと見ることはかなわないのだ。
調べてみると、かなり以前より 目標を人に宣言すると実現しない可能性が高くなる が、宣言した本人の満足感は高まるという実験結果がでていたようだ。
これが、NLPの目標設定の為のワークの満足度が高い理由なのだろう。
しかし、夢を見ることはできるが、条件がそろわないとかなわないのだ。
私は幼稚園の時、夢を書こうという時間があり、その時「くだらない」というようなことをめちゃくちゃ思った。
なんて夢のない幼稚園生だったのだろう。
夢・私なかったんですけど?幼稚園生ながら空気よんで現実的そうな適当な嘘を書いておいた!
幼稚園生に嘘をつかせる教えなんて、ほんと大人に教えてもろくなことないと思った。
今思うと、それはまったくその通りで、本当に重要なミッション、目標は人に言わない方がうまくいくという定説を幼稚園生ながら無意識に理解していたのかもしれない。
人に言った時点でそれはかなわぬ夢となる可能性の方が高まるのだろうし。
その強烈な幼稚園生の時の思いはNLPを学んだことでより鮮明になった。
NLPでは目標を設定する時間が多すぎる。
この経験は人生の内緒のミッションの成功の為に重要な初等教育だった。
よって、NLPセミナーで教えられる目標設定の為の講義は「くだらない?」
NLPで目標設定する時間の本当の意味は、宣言することで 支持し助けてくれる人を募ること にあるのかもしれない。
重ねていうが、実際には達成されない、ついえる夢となる可能性が高まるようだ。
もちろん、支援したいと思える人であることも重要だ。
これは、政治家であれば政策目標であり、企業であれば経営目標となる。
政治家は市民から、企業は株主や従業員からの支持を(一瞬でもいいから)受ける為に。
目標達成には市民や株主や従業員の協力を取り付けなければならない。
この目標を達成しなければいけないという使命は、社畜を産み、多くの人の品性を低下させ、精神を疲弊させるのではないだろうか。
その為、立てられた目標はさまざまな解釈によって変えられたり、達成の度合いは軽視され、達成不要となることが多い。
よって、適切な現実的な目標設定が必要である。
そして、影響力のある支援者を募ること がビジネスにとって最重要である。
NLPはアメリカでは政治家や企業のリーダーシップトレーニング、パフォーマンス力の向上のツールとしてセミナー運営会社が活用しているようだ。
支援を募る為には、パフォーマンス力と一定のレベル以上である必要はあるだろう。
初等教育の時点で、ある一定のレベルに達していれば、目標設定を他人が強要しなくても成功するものは多いだろう。
個々の中での目標はあったとしても、人前で発表させることは目標達成をしづらくする。
ただ、最近はこういったセミナーの影響なのか部下のマネジメントという観点から目標を立てさせるという時間があったりする。
評価も目標設定から達成の度合いが重要な要素を占めてしまう会社もある。
部下としては、その目標設定いらなくね?と思っていた。
ある程度までいくと、自分との戦いになるだけである。
そういう時、立てた目標なんてほとんど関係なくなった。
「一日一食にしよう!」とか、自分一人だけで達成できるような現実的な目標設定ならいいかもしれないが、一人で達成できないような目標は人に言わない方がいい。
また、自分で決めた主観的な目標よりも、他人に求められる客観的な目標の方が人は 使命感や必要性 を強く感じ達成出来るかもしれない。
医者に「たばこを辞めないなら、手術しない。」と言われると、どんなに目標として頑張ってみても成功しなかった禁煙が成功するように。
また、 サイバネティックス についての投稿で紹介しているように、目標は無意識に達成されることが望ましく、一瞬の直感の連続を繰り返すことが目標達成の秘訣という考えもある。
これからは、客観的な現実的な目標を指示してくれる、支援者を募れるようなパフォーマンスの練習場としてセミナーを活用しよう。
そして、達成力を高める為に 本当に大切な目標は秘密 にしよう。
TED 2010.7 目標を自分に保つ
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NLP,
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